加藤淳平 - 總括 - 三十三
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや
                  加藤淳平


三十三 總括


 日本の文化傳統切斷せらるるの嚆矢は、米占領軍の占領政策、就中ポツダム宣言違反の明白なる、占領軍の檢閲と日本人洗腦なりき。されど占領期より、已に半世紀、五十年を閲す。何すれぞ、占領期の影響の今日まで及びたる。
占領軍の開始せる日本文化傳統切斷の、今日まで囘復せられざるのみか、更に深刻化の度を加へしに、六の劃期ありき。劃期ごとに、適切なる措置あらば、囘復可能なりしならむ。
 一に占領終了直後、占領期の實情、國民に周知せしめられず。二に一九六〇年の安保動亂、岸首相の日本自立政策を挫折せしめ、以後政策的重點、經濟發展に轉ず。三に一九六〇年代の經濟發展進みたる日本を、米國、他の亞洲諸國より引離し、歐米と同等なる「先進國」とす。
 四に此の頃より日本人全般に、「戰後思想」、「變異戰後思想」に基づきて、歐米至上、日本は次位の「先進國」、亞洲等の途上國は其の下、なる序列意識定着す。五に六〇年代後半、「戰後思想」に反撥生じ、大學紛爭起りしに、指導者等、紛爭の意義を見誤り、大學を荒廃せしめたるのみに終る。六に一九八〇年代後半の國際化熱、日本人を更に歐米化に狂奔せしむ。

 一より六までの重要時期に、日本の選択凡て誤りしは、「戰後思想」、「變異戰後思想」の、深く日本社會に浸透せるに因る。そは社會各層、就中學界・教育界と言論界に、占領期の占領軍協力者、「日奸」の蟠踞し、占領期の反日的、歐米至上的價値觀を守り、日本人の心を蝕み續けたるに基づくなり。「戰後思想」は、長期に亙り、日本人の意識の根柢を支配し、米軍の洗腦工作の、日本人の心に刻み附けし精神的外傷、長く癒さるること無かりき。
 歐米化と日本再認識の、二十年の振子の搖れの周期、一九八〇年代後半より、歐米化と國際化熱に向へり。歐米化、地球化の二十年は、日本文化傳統切斷の完成せる時期なりき。戰後日本の文化的倒錯、此の時期に深刻化の極に達す。

 日本は自國の國際的位置を忘れ、自ら自傷的に國益を害す。「改革」續けど、事態は改善せず。政治行政改革、そが好例なれど、「改革」熱は止まず。歐米至上視、規準視強まり、そは就中女性に著し。日本社會の現實に基づきたる發想、地を拂ひ、社會の常識薄弱となり、確たる判斷基準失はる。日本の亞洲よりの意識の乖離、亦進みぬ。
 現在は倒錯の最も深刻化せる時期なれど、漸くにして今、日本の學界・教育界と言論界も、「日奸」の影響より解放せらる。振子の搖れの方向、漸く變らんとするは、此の爲なり。潮の轉ずるが如く、日本再認識に向ふ兆候、日本の各所に充滿せり。今後二十年足らずは、期待の時期なり。切斷せられたる日本の文化傳統、復興し得るや否や。日本人の愛國心の涵養、歐米至上視の克服、亞洲との繋りの意識の囘復、此の間に達成せらるるや。


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