加藤淳平 - 總括 - 三十三
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや
                  加藤淳平


三十四 二人の歌舞伎俳優


 
最後に近年の日本傳統文化再興の一例として、實名は擧げざるも、二人の歌舞伎俳優に就き論考を掲ぐ。二人とも梨園の名門の出身にして、かねて日本の若年層に、歌舞伎への關心の弱まりたるを憂慮し、打開の方途を探りしは同じなりき。探りし方途、異なれり。
 一人は歐米の音樂劇(ミュージカル)を仔細に研究す。歐米音樂劇を、日本にて上演せるのみか、本場たる米國紐育にて公演せり。されど音樂劇に熱心なるに因りて、本來の歌舞伎の演技の、質を低下せしめぬ。歌舞伎の藝は枯れ、歌舞伎俳優としての評價は地に墜つ。而も親しく此の人の紐育公演を觀劇せる、或る日本人演劇通曰く、米人俳優に比ぶべくも非ずして、唯恥入り、早く終らんを願ふばかりなりきと。歌舞伎と米音樂劇の二兎を追ひ、共に失ひたるべし。


一人は江戸期の歌舞伎本來の、「傾(かぶ)き」たる芝居の傳統を研究せり。明治期よりの歐米の影響以前の、歌舞伎本來のあり方を現代に復活せると共に、中國の、四川劇等の地方劇に示唆を求む。此の人の始めたるスーパー歌舞伎は、早替り、宙乘り等のけれんを驅使し、若年層の人氣を博せり。今日の歌舞伎の隆盛、偏に此の人の研究の賜物なり。而も自らの演技力を磨き、若手俳優の養成に、出色の成果を擧げたり。
 今日二人の俳優の評價は、明暗を分く。日本の傳統文化を現代に復活せんとする方途を、歐米に探るか、日本と亞洲に探るか、迷ふ者多かるらむ。啻少くも歌舞伎に關し、二人の俳優の選択は、結果斯く歴々たり。


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