加藤淳平 - 現代日本人の意識の倒錯(七)亞洲よりの乖離 - 三十二 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや 加藤淳平 三十二 現代日本人の意識の倒錯(七)展望・振子の搖れ 明治期よりの、日本の歐米文化攝取の跡を辿らば、二十年の周期に氣附くべし。二十年の歐米文化心醉、其の後二十年の日本傳統文化再認識、更に其の後、歐米文化受容の二十年續く。振子の搖れの如、二十年の周期にて、右に左に搖るるなり。 明治初年は、維新直後の遣歐使節團以來、歐米文化に眩暈を覺えたるが如し。軍事、工業技術學習、鐡道建設等、歐化の一途を歩む。明治二十年代以後、反動來れり。教育勅語、日本古來の價値觀を再認識せしめ、和魂洋才の和魂強調せらる。斯く涵養せられたる國民の愛國心、日清、日露兩戰役の勝利を齎せり。 大正期、亦歐米文化熱再度高まりて、歐米文化受容の、分野擴大し、深度深まる。歐米の社會意識と精神文化、知識層の心を捉ふ。昭和初年はそが反動の時代にして、反歐米國粹主義、中國、米國を兩面の敵とせる無謀なる戰爭に、日本を導きたり。 敗戰後今日までも、二十年の振子の搖れは已まず。占領期より引續く「戰後思想」の、歐米的改革絶對視時代は、一九六〇年代半ば頃に轉機を迎ふ。續く迅速なる經濟發展と、日本の經濟の大國化は、日本人論を流行せしめ、日本的價値を再確認せしむ。 されど一九八〇年代半ばには、振子再び歐米化の方に振るるを留め得ず。「國際化」熱と「地球化(グローバル化)」の時代なりき。此の時代の、日本と日本文化に及ぼせる害惡、擧ぐるに際限無し。今二十年の周期は再び巡り來れり。憲法改正、國を愛する心の涵養、自虐的歴史觀修正、傳統文化再認識の機運、漸く高まる。 心強きことなれど、懸念無きにあらず。「戰後思想」、「變異戰後思想」の克服されざる儘、國の意識の高まりて、日本のみを高きとし、近隣亞洲諸國を蔑視する嫌ひ無きや。蔑視故に昂進せられたる愛國心、近隣亞洲諸國に向ひて、攻撃的心情を派生せしめざるや。 一九八〇年代よりの二十年間に、日本の文化傳統、完全に切斷せられたり。切斷せられたるに因り、若き日本人等、日本と亞洲の根源的、文化的繋りを意識し得ざるに至れり。「戰後思想」、「變異戰後思想」、心裡深く浸透せるが故なり。 日本の今後を展望するに、亞洲蔑視、近隣諸國への攻撃的心情を囘避し得るや否や、將來を決すべし。亞洲蔑視、近隣諸國敵視は、日本人の、文化的、人種的共通性多き亞洲人に、共感無きより生ず。日本の文化傳統の、切斷を修復せらるる時、亞洲との根源的、文化的繋りを、意識せざるべからず。「戰後思想」、「變異戰後思想」の歐米至上視、日本、亞洲蔑視を、完全に克服せむこと、日本の今後に不可缺なるに、豈異論あるべきや。 ▼ 三十三へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |