加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 三
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


 占領期の總括(二)「戰後思想」


 今日の日本に殘存せる植民地遺制の如きものの、最も顯著なるは、文化と價値觀なり。就中文化傳統の切斷なり。されど文化傳統切斷、異なる價値觀の植付けは、占領期に開始せらると雖も、直ちに成功せるに非ず。譬ふれば遲效性の毒藥の如し。攝取せるより數十年の歳月を經て、效果を發揮するに至れり。


 占領開始當初の米國、日本を警戒すべき潛在敵國と見、日本の國力破壞を占領政策の目的とす。當時米露關係良好にして、露國の支援せる日本共産黨、占領軍に協力せり。占領軍の米人將校にも、共産主義に好感を抱きたる者多く、日本の左翼勢力を優遇す。


 占領軍の日本左翼勢力優遇より、特異なる思考と價値觀生まる。日本が過去の行動、日本古來の社會體制は前近代的、封建的なりとし、歐米の「近代的」社會・思考を模範と仰ぐ「戰後思想」なりき。此の「戰後思想」こそ、遲效性の毒藥なれ。


 「戰後思想」は、占領軍の檢閲方針、國際共産主義運動の指導方針、何れにも合致せり。「戰後思想」に三つの特徴ありき。全て歐米を模範とせる歐米至上の價値觀、日本の社會・文化の否定、現實離れせる思考の觀念性・硬直性、之なり。


 「戰後思想」、世界の歴史を一元的に、古代奴隸社會、中世封建社會より、近代市民社會への進歩と斷ず。近代を達成し、近代市民社會を實現せるは、歐米のみなり。日本は長く中世的封建制度の下にありし爲、人民に「自由」、「人權」無かりき。然るが故に軍閥「侵略戰爭」を始め、之に敗北せる日本、敗戰と占領軍の改革により、「解放」せらる。されど日本社會、未だ「封建的」なれば、歐米を範とし、歐米の如き「近代市民社會」實現に努力すべし。是ぞ「戰後思想」の骨子たる。


 「戰後思想」の理論、何れも日本の現實より導き出されたるに非ず。歐米人の案出せる觀念を、日本の歴史と現實に當嵌めたるのみ。而して思想的基礎に、歐米は進み、日本は遲るるの價値觀あり。歐米を至上とせる價値觀、日本の社會・文化の否定、共に占領軍が檢閲・洗腦工作の所産なりき。占領軍の檢閲、日本人の感覺・思考を現實より遮斷せるに因り、思考の觀念性・硬直性亦生れぬ。


 戰後日本人、歐米を至上視し、歐米の民主主義、自由、平等、人權を、そが當否、日本の社會に於ける現實妥當性、相互の矛盾、優先順位等の論議無く盲信す。人の思考するは言語に依る。思考の單純化せば、言語も單純化せらる。單純化せられたる言語は、思考を單純化す。戰後日本人が思考機能、言語機能、共に退化するの始めなりき。


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