加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 二十二 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(後篇) 加藤淳平 二十二 「國際化」熱 此の頃日本の經濟全體も、個々の企業も、一層の發展を目指さんが爲に、國内事業のみならず、國際的活動の必要性を感じ居れり。國内事業と整合性を保ちつつ、海外活動を進むるは、時の至上命題なりき。されば日本政府も、大方の日本人も、國内の制度・慣行を海外と同一化すべし、即ち「國際化」すべしと考へたり。 斯して國際的經濟活動・企業活動を、有效に進むる爲、日本自體の「國際化」の必要性の、強調せらるるに至れり。一九八〇年代後半頃より起りし「國際化」熱なり。「國際化」なる言葉廣く流行し、日本の國際化不足せり、更に國際化せずんばあらず等力説せらる。 元來「戰後思想」の基礎に、「國際」的なるを善しとせる價値觀ありき。日本的なるは不善にして、日本の後進性を示すなり。「國際」的なるを至上とす。されど「國際」即「歐米」にして、亞洲は視野に入らず。日本人が國際的上下關係の序列、斯く嚴然たり。歐米「先進國」は上位、日本は「先進國」なれど歐米の下位、亞洲等の「途上國」最下位に位置す。斯る價値觀に基きて、「國際化」熱、日本を「國際化」、即ち「歐米化」せんとせり。 「國際化」即「歐米化」なりしは、「國際化」熱の英語熱に直結せるに表る。英語熱こそ、「國際化」熱の日本社會に齎せる、最も顕著なるものなりしか。「國際化」熱に煽られたる日本人、短絡的に、「國際化」の第一歩、英語學習にありと信ず。 町の英語學校繁盛し、全國の中學校・高等學校、母國語として英語を話す歐米人青年を常駐せしむ。英語熱永續し、大學入學試驗にありては、英語の試驗の、國語より重視せらるるに至る。中學校より行はれし英語教育、小學校より開始せらる。 ▼ 二十三へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |