加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 二十一
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


二十一 經濟大國・日本


 一九七〇年代の石油危機と石油價格高騰に、日本の經濟界、強き危機感を抱けり。當時の日本の實務者等、官僚、企業人、技術者は、日本の直面せる困難を克服せん爲、省エネルギー技術開發と工業の生産性向上に努めたり。日本企業、尚獨自の企業文化と潛在力を保持し、社員に自社企業文化への誇りありき。世界最高水準の工業技術、特に省エネルギー技術と情報技術の築かれたるは、其の基礎の上なりき。


 國際的環境にも惠まる。石油危機より始りし世界經濟大變動、歐米の力を相對的に弱め、世界の富の流れの一部、歐米を中心とせる流れより外れぬ。増加せる石油收入の相當部分、亞洲と日本に流れ、亞洲と日本を利したり。石油危機を乘越えたる官民一體の努力、日本をして、世界に於る經濟大國の地位を確立せしむ。


 惠まれたる國際環境の中に、經濟力を強化し、世界最高水準の工業技術を發展せしめたる、日本の經濟界と複數の大企業、歐米の覇權に挑戰す。されど日本全體に、その力已に無かりき。「戰後思想」の社會への浸透に因り、日本の國たる一體性の基礎は、實際に、亦意識の上にありても掘崩さる。政治は腐敗し、日本の社會と文化、經濟界と企業の意欲に水を掛けたり。


 福田内閣の「全方位外交」、亞洲を見据ゑ、日本の對亞洲關係を重視せる外交なりしが、その後の各内閣、外交の重點を對歐米關係に移し、亞洲を輕視せり。政治家、官僚の何れも、亞洲と日本の利害の共通性を見得ず。當時の日本經濟動向、明かに歐米と異なる動きを示す。されど「變異戰後思想」に束縛せられ、亞洲に非ずして、歐米のみに向けられたる日本人の眼、氣附くこと無かりき。


 一九八〇年代の日本人、日本經濟の發展・擴大を、日々實感として感ず。株價、圓相場、繼續的に上昇し、日本人は自信を深む。一部の日本人や日本企業、歐米各地にて、圓價上昇に因り割安と感ぜられたる歐米不動産を買漁りき。


 亞洲に有望なる投資先ありしに拘らず、日本人投資家等、亞洲を見向きもせず。長年の企業努力により蓄積せられたる富を、採算性不確かなる歐米のビル、ホテル、城等の不動産に投資す。此の時期の歐米不動産投資、何れも數年の間に半額以下に減價せり。日本の長年の蓄積、一擧に歐米に吸上げらるる結果となりぬ。


 日本の經濟力と工業技術力、一九八〇年代後半に絶頂に達せり。大多數の日本人、日本經濟を發展せしめたる眞因を見ずして、泡沫(バブル)と呼ばれし高揚感に醉ふ。日本經濟、持續的好況を謳歌し、經濟發展の終るを知らざるやに見ゆ。好況の無限に續くかの言説、世を風靡し、日本經濟の將來に警鐘を鳴らす者、殆ど無かりき。


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