加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 二十
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


二十 「戰後思想」と「先進國」意識の結合


 一九七〇年代以降の日本に於ては、社會の三分の一なる學界・教育界、言論界等と、三分の二なる實務者の世界に分裂せる構圖の變らざる儘、前者に、「戰後思想」に依る思考・價値觀の劃一化進み、後者に、「戰後思想」稍變化し、受入れらる。


 後者の實務者世界に於て、日本經濟の高度成長と、日本の國際的に「先進國」と認められたるは、日本人の自信を回復せしむ。されど此の世界にも、學校教育とテレビ等の影響下に、「戰後思想」、若年層中心に不斷に浸透す。「戰後思想」、「先進國」意識導入に因り變化す。「變異戰後思想」とも言ふべき思考様式の生れたるは、其の結果なり。


 「變異戰後思想」の基礎に、往時の占領軍の洗腦と、丸山理論等の「戰後思想」あり。即ち中世的封建社會たりし日本を、敗戰と占領軍の改革し、近代市民社會と爲す。戰後の日本、歐米に範を採りて近代化し、「資本主義經濟」を發展せしめ、歐米と等質なる「先進國」に進化せり。「變異戰後思想」に依らば、現代の日本は、歐米と等質の社會なり。共に「先進國共通の問題」に惱むなり。


 歐米と等置せらるる日本、亞洲近隣諸國より切離さる。亞洲諸國は、「先進國」に比べ、價値低き「途上國」、即ち「後進國」なり。蔑視に値すべきなり。日本人、歐米人と同じき眼にて亞洲を眺む。亞洲文化を「エスニック」と呼び、殊更に異質性を強調す。


 「戰後思想」は日本を否定し、歐米を至上視せり。「變異戰後思想」、經濟發展し歐米化せる日本を評價すと雖も、亞洲と共通せる日本古來の文化傳統、價値觀は認めず。古來の文化傳統と價値觀、「先進國」日本に適せずとて切捨つるなり。


 一九七〇年代より八〇年代前半に掛け、日本人の一見、自信を回復せるやに見えたるも、自信回復の基盤危ふかりき。「變異戰後思想」、日本人の心に浸透し、社會の常識となるが故に、日本古來の文化傳統切斷進み、日本は更に亞洲より遠ざかれり。


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