加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 十九
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


十九 「戰後思想」の社會への浸透


 前述せる如く、占領期より其の後に掛け、日本社會に亀裂走れり。「戰後思想」を信奉するや、せざるやの亀裂なり。一九六〇年代は、日本社會に進出せる、占領期の占領軍協力者、即ち「日奸」等、「戰後思想」を社會に廣く浸透せしむ。


 但し此の時期なれども、「戰後思想」信奉者等の、指導的地位を占めたるは、學界・教育界、言論界、勞働界、婦人運動等、日本社會の三分の一なりき。殘る三分の二なる實務者世界、「戰後思想」に毒されず。古來の文化傳統と價値觀、引續き保持せられ、健全性と活力を保てり。兩者斷絶の構圖、一九七〇年代も基本的に變らざるも、若干の變化生ず。


 此の時代、日本の社會に現れたる變化、次の如くなりき。以前は、學界・教育界、言論界等に於て、「戰後思想」信奉者の指導的地位を占むるも、戰前の日本の氣骨を持ちたる老年層の少數者、古來の文化傳統と價値觀を守り、「戰後思想」浸透に抵抗せり。渠等に、折に觸れ、貴重なる發言あり。少數意見なれども、日本社會の進路に根源的疑問と反省を投掛くるものなりき。然れども一九七〇年代以降、斯かる老年少數者等、死に絶え行きぬ。代りて占領下に占領軍と協力せる者等、社會に地歩を固む。學界・教育界、言論界、「戰後思想」の思考・價値觀に劃一化せらる。


 實務者世界にありても、「戰後思想」浸透す。但し未だ健全性と活力ありし實務者世界は、「戰後思想」其の儘を受容せるに非ず。「戰後思想」の日本否定を、「先進國」日本の意識に依りて緩和す。されど「戰後思想」の影響下に、歐米至上視と、日本古來の文化傳統、價値觀の否定廣まれり。


 一方に於て一九七〇年代は、中途半端ながら、日本人の自國への自信回復し、日本文化への關心の高まりし時代なりき。政治面にては、世界經濟大變動に直面せる政府、米國從屬より脱したる日本獨自の自立外交を模索す。


 「戰後思想」の社會浸透續きたるも、日本の政治の腐蝕、未だ左程進行し居らず。


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