加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 十八
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


十八 「西側の一員」と「共通の價値觀」


 日本の指導者の言ふ「西側の一員」なる表現、英語にてOne of the West と翻譯する能はず。英語のWest、即ち「西側」に、「東」の國なる日本を含まざるは、歐米世界の常識なればなり。或る國際會議の席上、日本の若き外交官の、We, Western countriesと發言せるを、英國の外交官、Weの後に andを挿入すべしとて、訂正せりとぞ。


 日本政府、固よりそを知れば、「西側の一員」は、One of the industrial democraciesと譯すなり。「西側の一員」は、日本國内に向けたる表現に過ぎず。されど借問す。此は明らさまなる二重規準に非ずや。何すれぞ現代の國民外交の時代に、國内と國外にて斯る二重規準を用ゐるを得るや。


 歐米人には亦、「共通の價値觀」なる表現にも違和感あらむ。日本政府は「共通の價値觀」の例に、民主主義政治と市場經濟を擧ぐ。何れも現代の日本と歐米の、共通に有する制度なり。されど價値觀は、制度より深く、人々の心情・信念に根を下すなり。斯る價値觀、果して歐米人と我等日本人に共通なりや。


 一例を擧げんに、「個人」なり。個人尊重の價値觀、歐米社會に嚴として存在す。個人の利益の主張せらるる、個人の尊嚴の尊重せらるるは歐米社會の常識なり。日本にありても、法律上、學校の教科書上、或は活字上、「個人」は強調せらる。されど現實の日本社會に、「個人」尊重の價値觀ありや。「個人」の利益を主張せる者、實際に受くるは、社會の敬意なりや、爪彈きなりや。


 日本の社會に存するは、「協調性」と「和」の價値觀にして、そが「個人」より尊重せらるるは明かなり。同じき價値觀、歐米に存するや。「協調性」と「和」の價値觀、日本と歐米に共通せるや。


 價値觀は國の政治の根幹を決定する重大事なり。斯る重大事に付き、如何ぞ國の指導者等、歐米と共通せりなど輕々に言明するや。日本國民の抱懷せる價値觀を、深く考究する無く、啻歐米政治家に迎合する言辭を弄す。戰後日本人と政治指導者の、精神的不健全性を證するに非ずして何ぞや。


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