加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 十六
推奨環境:1024×768, IE5.5以上




日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


十六 福田赳夫と「全方位外交」


 田中の金權・利權政治に、強力に抵抗せるは、田中の政敵、福田赳夫なり。福田は、田中の對極に立つ政治家なりき。身邊清廉、日本古來の文化傳統と價値觀に基づく見識もて、政治に拔群の指導力を發揮せり。政界の一部の尊敬を受くるも、「戰後思想」に同調せず、若き記者等を金錢もて懷柔するを、潔しとせざるが故に、言論界の支持無く、大衆的人氣に乏しかりき。


 福田は田中の次の次なる首相にして、目覺しき政治的業績を擧ぐ。國内政治にありては、石油危機後の經濟混亂と物價高騰を制圧し、經濟を安定せしめたり。日本經濟の、歐米の覇權に挑戰せんとする實力を備ふるに至りしは、福田の寄與大なりき。


 外交にありては福田、米國のみに依存せざる「全方位外交」の理念を掲げ、眞劍に對亞洲外交に取組めり。比律賓のマニラにて、亞洲と日本の「心と心の繋り」を説きし演説、東南亞洲の人々を深く感動せしめたり。東南亞洲の反日感情の擡頭抑制せられ、以後日本・東南亞諸國關係、安定に向ふ。中國との平和友好條約締結、兩國關係の基盤を確立し、相互交流の道を開く。


 福田がマニラ演説の、今尚東南亞洲の人々の間に、語り繼がるるは何の故ぞ。そは福田以前、若しくは以後の、如何なる首相とも異る演説なりき。他の首相等の如く、日本の「先進國」たる、「援助」供與國たるを強調するを避く。日本の、文化的・心情的に、亞洲の國たるを明言せるのみ。福田に、日本の亞洲の一員たる自然の感覺あり。福田の、毫も「戰後思想」に毒せられざるこそ、東南亞洲人等の共感を得たる所以なれ。


 されど「戰後思想」を信奉せる言論界の支持無かりしは、福田の弱點なりき。政界の影の實力者、田中の妨害を受けたるにも因りて、福田の政權、二年の短命に終れり。此は日本の政治と外交にとり、慚愧の極みに非ざりしや。


▼ 十七へ
▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る