加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 十五 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(後篇) 加藤淳平 十五 腐敗政治家田中角榮の登場 一九五〇年代末の安保動亂と、六〇年代後半の大學紛爭、何れも起くるべき理由ありしによりてこそ、起くるなれ。安保動亂は、占領期の米軍を對象とせる反感の爆發、大學紛爭は、現實より遊離せる「戰後思想」への反撥なりき。共に對處適正なりせば、占領期以來破壞、歪曲せられし日本の政治、學問・教育の再建に向けたる契機たり得べかりき。されど事態は反對の方向に進みぬ。 日本の社會の變質と、日本の文化傳統よりの切斷の如實に表れしは、無産階層出身の政治家、田中角榮の擡頭なりき。田中は小學校卒業のみの學歴ながら、事業家の才と政治的能力に惠れ、政權黨と政府の要職を歴任せり。 田中は大衆的人氣拔群の政治家なりき。「戰後思想」を觀念的に盲信せる報道界の若き記者等、田中の出自に、民主主義政治家のあるべき姿を見る。斯くして田中、言論界の全面的支援を受く。田中を首相に押上げたるは、言論界の支援なり。 されど田中は、倫理感、道徳觀念の稀薄なる金權・利權政治家なりき。利用價値無き土地を買占め、政治力を行使して、近隣に鐡道・道路を通し、或は公共施設を建設す。安價に入手せる土地に價値を付け、數倍の價格にて賣却するが、田中の常套手段なりき。 田中にありては、公共事業發注先の業者より、禮金と政治獻金を受くるは當然のことなりき。そは實質的には賄賂なり。斯く得たる法外の金もて、田中は若き政治家、記者等を接待し、懷柔す。渠等「戰後思想」の影響下に、道徳意識、倫理感の衰頽せるに因り、接待を受けたる田中を支持・賞揚す。田中の首相に推さるる所以なりき。 田中の行状、一部によく知らるるも、言論界全體、就中懷柔せられたる若き記者等、田中を支援せるが故に、實情を新聞・テレビに報ずること無し。漸く獨立の記者一人、雜誌誌面にて田中の行動を糾彈し、國民の眼を田中の政治行動の暗部に向けたり。日本の航空會社の大型旅客機購入に際し、米航空機製造會社より、田中の巨額なる賄賂を受領せる事實、米國にて公表せられ、田中は辞職に追込まる。 田中の政權、發足時より言論界の全面的支持を得て、國民の人氣高し。日本の長年の宿願たりし中國との國交正常化を成遂げ、内閣前半の發進は上々なりき。されど後半は石油危機、世界最大の石油輸入國日本を襲へり。政權後半の田中は、石油危機と自らの醜聞に追はれたるのみ。 されど首相辞任後の田中、政界に隱然たる勢力を保持し、政治の動向に強き影響力を行使す。田中の首相就任は、日本人の倫理感覺の衰頽を表し、田中の政治的影響力の増大は、日本の政治道徳感を低下せしめたり。田中以後、政治の腐敗、止め度無く進行す。政治家の土地轉賣利殖、政治家と公務員の癒着、公共事業の利權化、選擧区への利益誘導等、政治の常態となりぬ。 ▼ 十六へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |