加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 十四 |
推奨環境:1024×768, IE5.5以上 |
日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(後篇) 加藤淳平 十四 一九五〇年代末より六〇年代に至る 一九五〇年代末の安保動亂と、六〇年代後半の大學紛爭、何れも起くるべき理由ありしによりてこそ、起くるなれ。安保動亂は、占領期の米軍を對象とせる反感の爆發、大學紛爭は、現實より遊離せる「戰後思想」への反撥なりき。共に對處適正なりせば、占領期以來破壞、歪曲せられし日本の政治、學問・教育の再建に向けたる契機たり得べかりき。されど事態は反對の方向に進みぬ。 安保動亂は、日本の政治の最重要課題、即ち米國よりの相對的政治的獨立を指向せる、岸首相の努力を挫折せしめたるに留まらず。對米從屬は以後進めり。大學紛爭亦然り。日本人の思考を呪縛せる「戰後思想」を排除し得ざりしのみならず。「戰後思想」特有の歐米至上視、日本の現實より乖離せる思考、向後強まれり。 何れも日本人自身、特に報道界、學界の、動亂・紛爭の眞因を正確に知覺し能はざりしに因る。病因把握の正確を缺くるに因りて、對應正鵠を射ず。誤れる對應、病状を更に惡化せしむ。嗚呼「戰後思想」の、日本人の現實知覺能力・思考能力を破壞せるは、茲に及べり。 池田内閣の開始せる經濟中心路線、日本政治の基本路線となりぬ。困難なる課題たる憲法改正に取組むを回避し、經濟發展路線をひた走る。國民の弛まぬ努力、惠れし有利なる國際環境ありて、日本經濟を發展せしむ。一九六〇年代は高度成長の時代となれり。 されど占領期に負ひし日本人の心の外傷、癒されざる儘放置せられ、喪れし自信は回復せず。日本人は專ら實利、物欲を追求し、經濟發展に基づく物欲充足と、豐かにして便利なる生活より、一時凌ぎの滿足感を得。心の問題を棚上げし、生活の利便向上せば、それにて萬事宜しとす。物資の潤澤に供給せらるるに滿足し、自らの生くる目的を追求せんとの感覺は痲痺す。 「先進國」なる國際的地位を得たるは、日本人に限りなき心理的滿足を與ふ。日本は薄汚れたる亞洲の「後進國」たる境涯を脱し、歐米と共に輝ける「先進國」の一員と認めらる。歐米と肩を並ぶる「先進國」たらんとせる日本、歐米の「先進」文化導入に狂奔す。 一九六〇年代は、急速なるテレビ普及の時期なりき。テレビは全國の日本人を、歐米文化と都會の歐米的價値觀に親しましむ。都會の一部を除き、古來より連綿と續きたる日本の文化傳統、日本全國に渡り、無殘に切斷せらる。 「戰後思想」の影響、日本の政治・社會に及び始む。一九六〇年代後半は、そが強く感ぜられたる時期なり。從前の日本の政治・社會にありて、重要なる要素たりし道徳意識薄らげり。倫理感の稀薄なる政治家田中角榮を、擡頭せしめたるは、斯る風潮なりき。 ▼ 十五へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |