加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 十三
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


十三 「戰後思想」と大學紛爭


 一九六〇年代後半の日本は、騒亂の時代にして、騒亂の中心は大學なりき。大學紛爭は、「戰後思想」への挑戰に外ならず。「戰後思想」なるもの、大學にて特權的地位を享受せる教授等、日本の現實と關り無き觀念的思考に基き、日本の現實を非難せるに外ならず。大學の若き研究者・學生等、特權に執着せる教授等の、自らの立場・行動に背馳せる「戰後思想」を説くに、不信感を抱きたるは當然なりき。


 されば「戰後思想」の牙城なりし東京大學等の大學にて、若き研究者・學生等、丸山眞男等の「戰後思想」鼓吹者に、反亂を起したり。「戰後思想」とその鼓吹者に、思考の行動より遊離せるいかがはしさありき。そが糾彈せらるるは、理無きに非ず。


 されど「戰後思想」に不信感を抱きたる若き研究者、學生等、無意識の心裏に、「戰後思想」を植付けられたる者なりき。「戰後思想」を離れて、思考・行動を爲す能はず。自らの不滿・反撥の、本來周囲の日本の大學の現實より發したるを、知覺し得ず。「戰後思想」に内在せる現實感覺の稀薄さ、現實をありのままに知覺するを妨げたり。


 然るが故に歐米に眼を向け、西歐羅巴の大學紛爭を模範とし、そを模倣せり。恰も日本の大學紛爭、歐米の大學紛爭と共通の原因より生じたるが如く幻想す。日本の若き知識人等、斯く幻想せるに因りて、自らの行動を正當化す。斯く幻想せずば、自らの行動を正當化し得ざりき。斯くして大學紛爭の推進者等、日本の現實を直視せずして、現實に對應せる改革を提議す能はず。大學紛爭に正當なる理由ありしも、そが惨憺たる結果のみ、生みたる所以なりき。


 從來の日本の大學、「戰後思想」の牙城にして、精神的腐蝕進みたるも、明治以來、或は江戸時代以來の、健全なる學問の傳統、未だ存したり。されど大學紛爭此の傳統を破壞し、向後日本の大學・學問、頽廢の一途を辿りぬ。


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