加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 六 |
推奨環境:1024×768, IE5.5以上 |
日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(前篇) 加藤淳平 六 ポツダム宣言と米國 日本は、ポツダム宣言を受諾し降伏せり。此の宣言は、日本に對し八項目の降伏條件を提示す。日本の降伏は、之等條件を受け入れたる降伏にして、無條件降伏に非ず。無條件降伏せるは、宣言に明確なる記載ある如く、軍のみなりき。そは、僅かなりとも國際法の知識を有する者にとり異論の餘地無し。 ポツダム宣言に示されし、對日融和的外交政策は、對日戰爭を企畫實行せる強硬派大統領ルーズベルトが死後、元駐日大使グルー、對日政策決定の實權を握りし故に、實現せるものなり。日本は其の機會を把へぬ。しかも米國が國益に取りても、ポツダム宣言による和平は、妥當なる選擇なりき。之に因り、米軍兵士の無益なる流血を避け、戰爭の早期終結を實現し得たればなり。 然れども第二次大戰終了後、米國政府内部に於る力關係は急速に變化し、強硬派の發言權、再び強まりぬ。強硬派は、能ふ限りポツダム宣言を無視し、事實上日本を無條件降伏せると同じく扱はむと考へたり。 斯る強硬派主導の下に、九月六日米國政府は、「對日初期方針」をマッカーサーに指令す。米軍の日本占領は、聯合軍による軍事作戰にして、米軍は日本政府を「支持せず、利用」し、必要あらば軍事介入すべしとの指令なりき。ポツダム宣言を、全く無視するに非ざるも、其が拘束力を弱めむとの意圖、露はなり。ポツダム宣言は、日本を降伏に誘ふ餌に過ぎず、降伏の實現せる曉には、最早用濟みなりとの底意讀み取らる。降伏し、武裝解除せる亞洲人に、何の恐るる事か有るべき。 ▼ 七へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |