加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 四
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(前篇)
                  加藤淳平


四 米軍日本占領の開始


 昭和二十年八月二十日、日本政府代表團、比國(フィリピン)マニラに飛び、聯合軍總司令部の指示を受領す。此の時受けし重要なる指示に、占領軍兵士用の、性的慰安施設設置ありしを、忘る可からず。


 八月二十八日、米軍先遣隊、日本本土に上陸し、國内各地に展開す。三十日、最高司令官マッカーサー、日本に到着せり。二十八日より九月二日に至る六日間に、米兵の犯せる物品掠奪、婦女暴行等の非行を、日本の報道機關、臆する事無く報道す。其の百三十件の多きに上りし事實を、今誰か知らん。


 九月二日、當時の米大統領が出身州名を、艦名に冠したる戰艦ミズーリ艦上にて、日本降伏文書、調印せらる。此の日、米軍より日本側に、命令文を手交し、直ちに米軍軍政を施行する旨、通達し來れり。之を受けし日本政府、其の夜緊急に協議す。翌朝外務大臣重光葵、マッカーサーと直談判し、直接軍政施行を撤回せしむ。


 此は、大國日本の外交が掉尾を飾りし、氣迫の交渉なりき。


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