加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 三
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(前篇)
                  加藤淳平


三 靜かなりし日本


 敗戰直後より、同年十月頃に至る日本は、殆ど異常なる程に靜まり返りたりと、江藤淳は記せり(『閉ざされた言語空間』第二部第一章冒頭)。堂々と、且つ平靜に、日本人は、敗戰の現實を直視しありき。當今論ぜらるる如き「敗戰の精神的外傷(トラウマ)」は、此の時期の日本に、未だ存せず。生じたるは、其の後なりき。


 戰爭に敗れたる日本人が平靜さに、外國人も氣附きて驚嘆せり。未だ重慶に在りし、中國國民政府、王世杰外交部長(外相)は述懷す。「日本敗れたりとは言へ、其の國民性は決して輕視できぬ。…敗戰後における威武不屈、秩序整然たる態度は、わが國人の範とするに足る」と。さる米國人、日本は物的に敗るるも、精神的には敗れずと觀察す(江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』9より)。


 亞洲の人たる中國人には、日本への親近感と畏敬の念ありき。米國人に、斯る感情の、有るべくも無し。只報復への恐怖と、異文化の薄氣味惡さを感じたるのみならん。米占領軍司令部軍人ら、日本人の洗腦が急務たるを、強く覺えしならずや。


 こは、人間が抵抗し得る限界を超えし、極度なる悲運に遭遇せる日本人の、傳統的對處の途なりき。原爆も敗戰も、靜かに目を伏せ、耐ふる愼ましさ、眞面目さ、勁さ、蓋し日本人が特質なるべし。


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