加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 二十六
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(前篇)
                  加藤淳平


二十六 「南原繁と教育改革」


 茲に、日本人米軍協力者の巨魁とて一人物の名を擧げむ。そは丸山眞男が師、南原 繁なり。南原は、占領初期に、米占領軍の實行せる諸改革が一なる教育改革を主導せ り。


 總司令部、報道の直接管理と共に、教育に強く介入せるは敍上の如し。「太平洋戰 爭史」等の教材提供、教科書改定に力を注ぎし外、教育制度を改革せり。されど改革 内容には米側が要求ありしも、日本側、即ち南原が主導權認められたるが如し。


 改革が主眼三點ありき。一は六三制導入、即ち四、五年なりし舊制中學過程を六年 に延長し、三年毎の二段階に分く。二に高等教育の五、六年を四年に短縮し、そが前 段階なる舊制高校を廢止す。三は初中等教育教員の養成教育の変革、即ち師範、高等 師範廢止と教員養成過程の普通教育への統合なりき。


 改革が結果、如何なりしや。中等教育不必要に長期化し、而も二段階に分割さるる は、非效率ならずや。何故なる高等教育短縮ぞ。米側に日本人愚民化の意圖ありし や。舊制高校は、米人專門家之に感嘆せりと言はるるも廢止さる。教員養成過程を完 全に一般教育に統合せる改革、極端にして、外國に例少きに非ずや。


 斯く、日本の教育力を弱體化せる改革を、何すれぞ、南原の推進せる。米軍が意向 を先讀みし迎合せんとせしや、個人的恣意なりしや、事情詳かならず。されど如今の 日本の教育荒廃を見るに、南原の主導せる改革の日本に害を齎せるは明白なるべし。


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