加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 二十三 |
推奨環境:1024×768, IE5.5以上 |
日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(前篇) 加藤淳平 二十三 「學界の占領軍協力」 占領期を通じ、日本の學界、米軍が最大の協力者にして、「虐日日本觀」の最大の 信奉者なりき。 日本の學界には、明治期以來、歐米留學等を經験し歐米に心醉せる學者と、之に反撥し日本が民族的傳統を重視する學者の、二派の對立ありき。後者が大方は戰爭支持 者なりし爲、敗戰後、米軍占領下に勢力を失ひぬ。 占領期の學界は、大正期の自由主義的思想を青年期に身に着けし指導層の下に、其が薫陶を受けし少壯學者らありて、共に米占領軍が思考に同調せり。何れも日本社會 が實情を知らず、觀念的にのみ日本を理解せるは、米軍將校と同樣なりき。「虐日日本觀」を信奉し、米占領軍と協力せる所以なり。 然れども占領期、學者ら多數の米軍に協力せるは、占領軍が思想に共鳴せるのみに非ず。占領軍が權力、資力に擦寄り、迎合し、利を圖りたるなり。占領軍が意向を讀 み、阿諛追從の文を記し、丸山の如く日本人洗腦工作の一端を擔ひぬ。 上に擧げし如く、總司令部に、五千人有餘の常勤日本人檢閲員働きたり。相当水準の英語力を要せるに因り、多くは大都市一流大學が教員、學生らなりか。學界、斯く 占領軍に協力せり。 ▼ 二十四へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |