加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 二 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(前篇) 加藤淳平 二 敗戰直後の日本人 敗戰を肯ぜず、輕擧妄動せる者、無きにしも非ず。然れども日本全體を見るに、「承詔必謹」の精神、堅く守られたり。歴史始まりて以來例なき大敗戰に、日本人は、たぢろぐこと無かりき。民俗學者宮本常一は、敗戰直後、大阪近郊の農村にて、農民寄集ひ、米軍を迎ふる道路の清掃に、屈託無げに立働くを見き。日本の庶民は既に平常心を恢復し、肅々整々と、遠來の客を迎ふる準備に身を挺したり。 原爆投下直後の廣島の日本人、已に然り。自ら被爆し、河原にて三日を過せし作家、大田洋子、同年八月三十日付朝日紙に記しぬ。「乞食のやうに河原に起き伏しした短い日、おびただしい人の群のたれも泣かない。誰も自己の感情を語らない。日本人は敏捷ではないが、極度につつましく眞面目だといふことを、死んで行く人の多い河原の三日間でまざまざと見た」と。 こは、人間が抵抗し得る限界を超えし、極度なる悲運に遭遇せる日本人の、傳統的對處の途なりき。原爆も敗戰も、靜かに目を伏せ、耐ふる愼ましさ、眞面目さ、勁さ、蓋し日本人が特質なるべし。 ▼ 三へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |