加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 十九 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(前篇) 加藤淳平 十九 丸山眞男の登場 米軍が宣傳弘報活動の、最も活溌に行はれたる昭和二十一年五月、當時最高の知的 權威を有する岩波書店發行の綜合雜誌『世界』誌に、丸山眞男が、『超國家主義の論 理と心理』なる論考を掲載す。 此の論考に奇妙なる點多し。「日本國民を…戰爭に驅立」てし思想を、聯合國は 「超國家主義」と呼ぶ旨、書き出しつつ、「戰爭に驅立」てたる思想の有りや、其を 「超國家主義」と呼稱し得るやは之を論ぜず。恰も聯合國が意向は、天の聲、眞理其 のものなるが如し。文中、受動態を用ゐて主語の明示を避くる記述頻々たり。論考の 發表されしは、占領軍の洗腦工作、酣なる時期にして、論考の趣旨、洗腦工作の目標 と全面的に合致す。 論者、檢閲を意識し、占領軍に迎合せるは明白なるも、其れのみなりや。『超國家 主義の論理と心理』成立の背後に、占領軍情報將校との緊密なる關係と共同作業有ら ざりしやを疑ふ。 丸山眞男は、此の論考を以て、論壇に登場せしより、占領期及び其の後に掛け、多 數の論文を順次發表せり。戰後日本の知的指導者たりし此の人が著作は、知的階層の 人々に決定的影響を與へぬ。 ▼ 二十へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |