加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 十五 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(前篇) 加藤淳平 十五 僞りの言葉と思考 日本人に獨自の文化傳統ありて、敗戰前までの日本人が心に、脈々と生きゐたり。自然を愛で、和を重んじ、足るを知る心なりき。前掲の大田洋子が言を籍らば、「極度につつましく眞面目」なる、人の在り方なりき。此の文化傳統、今何處にありや。 惟ふに、敗戰と共に傳統の切斷されしに非ずや。切斷されしは、米占領軍に言論を管理され、僞りの言葉と思考を強制せらるるに發せるに非ずや。米軍が言論管理は日本人が内面を支配せり。檢閲を摺拔くる手段とて、自己檢閲を行ひしに因り、米軍の認めざる禁忌事項は思考の対象とせざる習性、深く身に着きぬ。自己檢閲せる日本人報道関係者ら現實を直視するを止め、僞りの言葉を使ひ、思考を歪曲す。日本人の使用せる言葉の意味、使ひ方は、米軍の操作する所となりぬ。恰も米軍、日本人が思考、言葉を管理したるが如し。 占領軍兵士が非行、「公共の安寧を害する」が故に、言及せられざるなり。事實を記さざる樣、強制せられしに非ず。聯合國の行動、政策批判は、「眞實に反する」が故に、活字とするを避く。批判の禁止せられたるに非ず。文章を書く者、自ら「眞實」を追求し、「公共の安寧」に配慮す。存在せざる檢閲に因りて筆を歪曲せるに非ず。報道關係者ら、文筆を以て世に立つ者、斯く思考するを強制せられたり。渠らが筆を通じ、僞りの言葉、思考は廣く全國民に廣がりぬ。 ▼ 十六へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |