加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 十二
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(前篇)
                  加藤淳平


十二 檢閲實施體制


 米軍が檢閲實施體制は、昭和二十年九月より十月に掛け整備せらる。九月十九日、總司令部は、新聞・雜誌・出版物を對象とせる報道規定を作成せり。稍遅れ、ラジオ放送、映畫等の檢閲規定も制定せられぬ。朝日紙の後、新聞、雜誌の押収、發行禁止處分、續けり。


 已に九月十四日以後、同盟通信社、事前檢閲を強制されたるが、十月八日より、其が對象、朝日紙等五大紙に擴大す。司令部の體制整備に合せ、全國の新聞、雜誌、ラジオ放送、映畫、出版物、演藝等の娯樂、全面的に、事前檢閲の對象とせらるるに至れり。更に一部の私信、電信、電話も、檢閲を受く。


 米軍による全面檢閲は、此れ以後、昭和二十七年四月の獨立囘復まで六年半に亙りて續けり。但し二十四年九月以降、日本人の洗腦進みしと認められたる故か稍緩和せられ、事前檢閲より事後檢閲に切替れり。


 檢閲が實施主體は、總司令部民間檢閲部(CCD)なりき。其は、東京本部の外、大阪、名古屋、福岡、札幌に、地區本部又は支部を有する組織にして、組織が業務に從事せる人員は、六千人を越ゆ。固より管理職者は、全員米軍將校なるも、其の下に、五千人有餘の常勤日本人檢閲員働きたり。


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