加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 十一 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(前篇) 加藤淳平 十一 歐米人の容赦無さ 日本占領開始直後、日本の通信社等の米軍が非行を報道し續けしは、恰も米軍砲兵陣地前に飛出し、踊を踊りて挑發せるが如き不敵なる行動なりき。後日の眼よりせば、米軍が逆鱗に觸れざる樣、些かなりとも愼重に行動し得ざりしやと思はる。然れども當時の日本報道關係者に斯る配慮無かりき。米軍を挑發するを恐れざりしは、何故ぞ。 占領史家ら、日本の新聞社、通信社に、ポツダム宣言に掲げたる言論の自由を占領軍は字義通り保證すべしとの信頼感ありし旨を記す。歐米人が二重規準を知らざる一部の歐米信奉者に、斯る思込みせる者有りしやも知れず。されど其は少數者なるべし。 報道關係者を含め當時の日本人大多數は、占領軍の言を左程信用し居らず。大方の報道關係者は、占領軍が言に依らず、戰前・戰時中の日本政府が檢閲の體験に基づき行動せるなり。 日本政府が檢閲は、檢閲者も被檢閲者も日本人なれば、日本社會に特有なる表裏の使分け、双方が馴合ひ、取締側の目零し等有りて、檢閲が表向きの嚴しさは緩和されゐたり。戰時中にありても、記者と親交せる軍報道班員は、自ら記事に朱を入れしとぞ。 占領軍が取締方針の公示せられし後も、日本の報道機關の忌憚なき報道を續けしは、過去の檢閲體験より嚴しきは建前のみならんと、檢閲當局を見縊りし爲なるべし。日本人同士の氣安さに慣れし日本の報道関係者ら、冷水を浴せ掛らるるが如、歐米人が容赦無さを思知らされぬ。 ▼ 十二へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |