加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(前篇)- 十
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(前篇)
                  加藤淳平


十 「交渉」に非ず、「命令」なり


 九月十日、米占領軍の報道取締方針、日本報道機關に示達され、同日、總司令部民間檢閲部(CCD)、日本の報道が檢閲を開始す。されど日本の主要通信社、同盟通信等、日本の報道機關に、之に從ふ氣配無かりき。米軍が動静、米軍兵士の非行を報道し續けたり。斯る日本報道關係者が行動、いたく米軍を挑發す。


 占領軍總司令部は、直ちに牙を剥出せり。九月十四日、同盟通信社への直接命令に因り、同社は、業務停止を嚴命せらる。翌日總司令部民間檢閲部長なる大佐は、政府情報局總裁を含む、日本の官民報道關係者を招集す。大佐、こは「交渉」に非ず、「命令」なりとて、日本の新聞・ラジオ報道を、嚴重なる檢閲と管理の下に置く旨申渡せり。更に數日の後、朝日紙、二日間の發行停止處分を受く。


 九月末、日本報道機關が昭和天皇・マッカーサー會見記事に、米軍總司令部介入し、日本政府が規制を撤回せしむ。日本政府の情報・報道管理を規定せる法令、凡て撤廃さる。報道機關に對する日本政府が權限は、全面的に剥奪されぬ。日本政府、報道に介入するを得ず、總司令部は、直接日本報道機關に、命令を下すに至れり。報道に關し、ポツダム宣言は、完全なる空文と成りぬ。


 此れ以後、日本の報道機關は、米占領軍の完全管理下に置かる。日本政府の權威、意向を無視するは、占領軍の明示、若しくは暗默の命令なりき。日本の報道機關は、日本の報道機關たるを停止し、米軍の御用機關と成り下りぬ。斯ることこそ、米軍占領下に於る、更に其の後長く續きし、戰後日本の「言論の自由」が實態なれ。


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