逆旅舎>王蒼海:維納(ヰ゛ーン)故事 第九回
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維納故事  王蒼海



第九回・・多瑙の眞韻、國聯の奇觀


 維納の城内は古典主義的なる街竝也。第二次世界大戰で猛烈なる砲撃を受けたりといへども、 十九世紀の有樣をほぼ回復したるものなり。我が國の復興とは違ふものにして、街竝の保護に就きては極めて保守的なり。 戰後六十年近くなり、主要な建物に傷みも目立ち始め、また、商業建築物の電腦化に對應すべしとて、改修工事も相次ぎ、 古典主義の皮をそのままに換骨奪胎して中は現代的建築となすが流行となれり。その工事現場を詳細に見るに、 著名建築物の本當の石造を除き、多くの一般の建築の古典主義の皮は畢竟煉瓦と木と漆喰にして大理石や花崗岩を模したるものなり。 外面の華麗にくらべ、中は既に敗絮の如し。これなれば復興も左程難しきことにはあらざらむ。 維納でフロイト博士の見た十九世紀の精神状況はそのやうなる見榮坊ならむ。


 現代建築の奇を衒ふにも辟易と飽きたる東京者の遊子には、現代建築の嚆矢たる世紀末分離派の建築も古風と見ゆる程にて、 百水先生(フンデルトバッサー)の斬新なる建築にやや驚くばかり也。


 然るに、地下鐵道にて多瑙河を渡りて、カイザーミューレンに行かば、右手は古風なる公共住宅街なるも、 左手には近代的なる國聯都市が現はる。城内にてはかかる破天荒な建物は建築不可のために、奇想を盡くして建築すと謂ふ。 中を見學するに、地割の線引きは圓弧の組み合はせにして、中に入れば頓と東西南北が解らず、迷ふこと必至也。 ただ、樓上に立ち維城の全景を望まば、これを壯觀となさざるを得ず。天の青を映せる滔々たる多瑙の流れも一目に瞭望せんこと可能也。


 但し、多瑙河に二つあり、維納の舊城の直ぐ近くを流るる治水の爲に作られたる中川放水路の如きほぼ一直綫の新多瑙河と、 やや離れたる處に蛇行せる隅田川の如き舊多瑙河(アルテドナウ)なり。シュトラウスの作曲せる「美しき青き多瑙」は、 藪澤に圍まれた舊多瑙河を見ざれば、その神韻は傳はらざる也。


 カイザーミューレンは、和文にすれば皇帝水車、唐めきたる司の名にせば、御磨坊といふべきか。 小麦を製粉に及ぶものなり。今もその水車の跡には記念碑が殘れり。水車といへども、本朝の水車小屋に非ず、 船を連ねて浮橋としてその上に水車を竝べる大仕掛けなものなり。周邊は老木茂り、漂鳥の藪に宿り、 向島百花園が化政の大川の面目をやや殘せるが如し。國聯都市の奇観、川面に映りて、その秋景はまことに絶妙也。 今猶別荘の林立し、舊時は城内の紳士淑女集まりて散策園遊をなすと傳へり。この遊楽風情こそ眞面目なり。 その田園の趣も、急速なる都市化により、失はれつつあり。新たな直綫道路が引かれ、都市計畫がなされたり。 そこには「東京通り」などの地名もあり。將た歎ずべきか、喜ぶべきか。


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