逆旅舎>王蒼海:維納(ヰ゛ーン)故事 第十回 |
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維納故事 王蒼海 第十回・・先主の天運餘澤を傳へ 前朝の災厄陰翳を殘す 維城を歩くに、北京の街路と似通ふ處あり。千年王城の地なれば、城門の地名が今なほ殘れる等の類似も故無きにあらざれど、 維城の横町たるGasseと北京の胡同は語感といひ形状といひ誠に良く似通ふものあり。馬車一輌通るがやつとの道もあり。 市の地名もまた同じく、「煤市口」はKohlmarkt「新街口」はNeuermarktと應ずるなり。 王宮の前の城堡門(Burgtor)は、さながら天安門の故宮を守るが如し。王宮前廣場に美術館と博物館が對稱に竝ぶ姿も、 また天安門廣場に革命歴史博物館と人民大會堂が向かふが如し。その廣場の中心に、北京にては人民英雄記念碑が建つも、 維城では國母マリア・テレジアの銅像が建てり。 墺人のマリア・テレジアを敬愛すること今なほ甚だし。造幣局にてマリア・テレジアが發行せし「タアレル」 なる弗銀貨を今なほ鑄造し、銀行にて兌換す。かつて、マリア・テレジア・タアレルが世界の基軸通貨たりしことの餘澤、 二百五十年を經てなほ殘れりといふべし。これ本朝に比ぶれば享保丁銀を今なほ獨立行政法人造幣局が鑄造せるが如し。 銀行にては、フランツ・ヨーゼフ帝のクローネン金貨、未だに兌換するものなり。これ歐元の導入後も全く變はらず、 寧ろ、銀行は「金は金なり」との傳單を配りて、三代前の舊帝國金貨を鑄造し、國民が兌換するを獎勵せり。帝國は既に衰敗して 一の小國なりとはいへ、その資本の廣袤なること、ここに徴すること可能なり。その帝國の繁榮は、 英國と盟を結び佛魯を押さえんとせるマリア・テレジアの遠交近攻策により基を築きしものなり。 マリア・テレジアの英國との同盟を斷ち七年戦争に及ぶやたちどころにシレジア州を喪へり。 メッテルニッヒこれに鑑みるにや英國と盟を結び再び繁榮す。英國と同盟を結ばば國興り優に百年の餘慶ありとする例といふべし。 王宮公園を散策すること眞に氣を養ふ。かつての禁苑たる王宮公園は、築地など無くただ鐵柵を廻らすばかりなり。 歐州の宮殿は、東洋の宮廷が九重の内にあるのとは樣相を異にして、帝王の權威を顯耀せんとして、 街路からもその姿を一望すること可能なり。本朝の大内山の畏き有樣など伺ふべきにあらざると樣相を異にせり。 また、史書に據るに、墺洪帝國の皇帝は上下墺太利州大公すなわち大名主の如き役職を兼ねて、 人民よりの直訴にも耳を傾けるべき事情もあり、人民との距離は東洋の君主より近かるべし。 まさにかかる距離の近さが革命放伐を招きたる所以ならん。歐州帝家は畢竟封建領主の大なる者、 或は、富商の最たるものといふべきのみ。 王宮の内、最も古き部分は中世の建設にして、最も新しき部分は第一次世界大戰中に竣工したる新王宮なり。 新王宮の頂上には雙頭の金鷲の國章を掲げ、天下を睥睨せんとせしか、總力戰爭を遂行せる間に、 かかる奢侈なる王宮を建設せし墺洪帝國の國力の豐かなること驚嘆すべきなるも、亡國を等閑視してかかる 浪費を爲す帝家の專權遂に放伐せずんば非ざること、前清の西大后の頤和園の鑑に異ならず。 されど新王宮は國際會議場となりて日錢を稼ぎ、國際機關たるOSCEの大家となれば、これもまた帝國の餘慶也。 稀特勒(ヒットラア)が墺太利を合邦せしとき、新王宮のテラスよりそれを宣言したる寫眞、史書にあり。 その寫眞を仔細に見るに、稀特勒の立つ脇に聖母像あり。生靈塗炭を照覽したらん聖母像今なおテラス上に存す。 繁華の巷なる維城が自から有する陰翳の内、納粹(ナチ)支配の餘殃こそその最たるものならん。 高射砲陣地跡は猶、市中に廢墟として殘り、王宮(Hof)前或いは上苑(Augarten)の内といふ華々しき場所に 暗鬱なる陰を投げかけたり。肅殺の氣、大いに風水を殺ぐといふべし。納粹は高射砲陣地を戰沒者慰靈塔にする心算にて 大廈高樓のごとき混凝土陣地を築けりとも傳ふ。 嘗て納粹黨專權の下、「意味無き人生」との過酷なる鑑札とともに收容所に集められし無辜の障害兒に生體實驗を行ひし某醫學博士、 戰後は官界に韜晦し苟に仁術を行ひ位は醫官の長に及べども、戰時の無道やうやう明らかになり、長命卒壽に及べども、 戰後五十有七年にして勳章榮譽を全て褫奪さるとの報道あり。それと相前後して醫學校に祕藏せられし當時蒐集されたる 畸形兒のホルマリン標本は丁重に荼毘に付され、ダンテ神曲にも在る「無辜の嬰兒」の墓として維納市の墓地に埋葬されたりとぞ。 ▼「維納故事」第十一回へ ▼「逆旅舎」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |