逆旅舎>王蒼海:維納(ヰ゛ーン)故事 第七回 |
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維納故事 王蒼海 第七回・・寅次郎 安那街に迷ひ 鮭壽司 繁華の巷に竝ぶ 歐州の美味は佛國にありと雖も、維城の美味もまた捨てがたきものあり。 伊太利亞、獨逸の中間にありて獨自の風味あり。維城肉排(シュニツェル)は 伊太利亞から凱旋せるラデツキイ將軍が將來せし名物にして、人口に膾炙すればさらに贅語せず。 近年は衣を付けざる自然肉排(Natur Schnizel)といふもの流行りたり。 美味なるものの内、皇帝麺麭(カイゼルンゼンメル)も捨てがたきもの有り。近年、帝國時代も遠くなり、 皇帝麺麭と標榜するも、大方は羊頭狗肉のたぐひにして、一體に麩のやうな代物にして、 市場にて一個二志半程のものなり。ただ、城内の帝國食堂(ライヒスバイスル)なる旗亭の皇帝麺麭は外側は齒脆く、 内側はしっとり腰があり、まことに美味なるものなり。これに豚油を塗って甜き維納葡萄酒を飮まば杯を重ぬること必至也。 獨逸にて小麺麭(Brodchen)と稱するものは食卓に供する小さなる麺麭なるも、 維城にては、薄切りの一口大の麺麭に具を乘せるものなり。卵や野菜などを乘すこと三明治(さんどゐつち)に同じなるも、 やや高級な店にては、薫製鮭、魚卵などを乘せ、さながら壽司の如し。 されば、壽司の普及すること、誠に容易なり。今や維城の市場にても壽司折を賣る時代にして、 東南亞細亞人の經營せる壽司屋が繁盛す。質も魚目混珠というべく、屋號は日本語の如くにてさにあらず、 たとへば「アカキコ」なる壽司店の意味を歐人よりしばしば尋ねらるるには辟易せり。 然るに、歐人に壽司喰ひねえと云はば、今や斷る者とてなく、壽司の普及は、質はどうあれ誠に日歐親善に役立てるもの也。 維城と本朝の奇妙なる一致點は、屋臺、行商人商賣にもあり。春の龍髯菜(Spargel)の季節とならばその屋臺有り、 初夏の苺の季節到らば、苺屋臺たちどころに櫛比せり。秋の新酒現れなば名にし負ふ維納腸詰(ヰンナア) を撮みにしたる一杯屋臺が現れること、東京下町のおでん屋臺の如し。陋巷に生まれ育ちし餘人には誘惑抗すべからざるものあり。 また、冬ともなれば、甘栗屋臺が辻辻に現れ、五箇十二志、幣制改革の後は一歐元にて燒き栗を賣る。 更に、聖誕日の前一ヶ月間は、前節(アドベント)とて聖誕日市場(Weinachatmarkt)が立ち、菓子、腸詰、 縁起物などを賣ること、本朝の下町の酉の市の如き光景なり。縁起物とは豚の貯金箱、茸の置物、烟突掃除人の置物などにして、 穉氣愛すべきものあり。その時に教会の門前にて屠蘇酒の如き風味の肉桂、陳皮などを入れた藥味葡萄酒(グリュウワヰン) を燗して鬻ぐ有樣は、明神下の甘酒屋に異ならず。そもそも、これらは農村の三齋市の如きものにして、 日歐ともに農本主義的社會が背景にありと思はる。どのやうな小鎭に至つても、必ず、「三位一體像」を中心と爲す廣場あり。 この廣場は農民市の遺跡なり。地球の裏にこのやうなる類似性のあること、歴史地理の惡戲なり。 かかる市場にて最も著名なるものは、「ナッシュマルクト」にして、今は殆どが常設店となり、 野菜賣り子は外國系が多く、徃時の屋臺市の面影は乏しくなれり。むしろ、辻辻にて週末に開催される朝市にその面影有り。 聞けば、下墺州(ニーダーヱスタライヒ)の農民が野菜を持參すといふ。第十八區にて行はるる朝市では、肉の屋臺もあり、 朝締めの冷凍肉にあらざる新鮮な肉の美味を知るに至れり。 されば、「寅さん」こと映畫「男はつらいよ」が維納で有卦に入りたることは故なしとせず。 維納市長のたつての要望にてその一篇を當地にて撮影に及びたることもあり。劇中寅次郎の宿泊せる宿は、 安那街(アンナガッセ)なる歌劇場旅館(Zum Opern)なるも、安那街は古へは紅灯斜巷といふ。その竝びには亦壽司店二ヶ所あり。 行商渡世の哀感は維納市民に容易に理解し得ると思はる。 二〇〇二年、遂に維納市廳はドナウ川を江戸川に見立てて、二十三區に在る由緒正しき多瑙河通りを、 葛飾通り(Katsushika Strasse)と改名せるに至れり。これ椿事奇談といふべし。映画中に寅次郎の曰はく 「維納はお寺の鐘がゴーンと鳴つて柴又と同んなじ。」との感想は強ち法螺ならず。 ▼ [維納故事]第八回へ ▼「逆旅舎」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |