逆旅舎>泰通信 第八號 |
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泰通信 (第八號) 平成十七年三月 大口 童遊 カンチャナブリ Kanchanaburi (タイの縣名) 三月半ば、泰國日本人會恆例のカンチャナブリ慰靈祭に參加せり。老若の邦人男女四十餘名、 盤谷都心の日本人會館を貸切バスにて早朝出發。高校生の娘二人を伴ふ父親は「大東亞戰爭も知らぬ世代の子供達に、 我等何故この慰靈祭に參加するかを教ふる爲」と語る。 三時間後の午前十時、盤谷西北百三十粁、クワイ河沿ひの慰靈塔に到着、泰僧讀經のあと、 同じ黄衣をまとふ若き日本人僧の般若心經讀誦ありて全員燒香、不戰の誓込むる小野雅司日本人會會長の挨拶にて式を終ふ。 アレック・ギネス、ウィリアム・ホールデン、早川雪舟共演の映畫「戰場に架ける橋」(一九七二年、英)と、 主題曲クワイ河マーチを御記憶の向きも多かるらむ。大東亞戰爭末期、大本營は占領地ビルマ確保の爲印度への進攻を決定す。 史上最大の愚行とせらるゝインパール作戰なり。ミッドウエー海戰の敗北後制空權を失ひし海上ルートの代替補給路として軍は、 泰ビルマ間を結ぶ延長四百餘粁の泰緬鐵道建設を計畫、英豪蘭等の捕虜約六萬人、ビルマ、マレー人ら勞務者二十萬人による 人海戰術にて僅か二年後の昭和十七年に完成。この間、苛酷なる長時間勞働と食料醫藥品不足、コレラ、マラリア等の疫病にて 捕虜一萬三千人を含む十萬人の死者を出す。慰靈塔は是等犧牲者の靈を慰めむと昭和十九年二月、 日本軍鐵道隊により建設されしものなり。 半世紀を過ぐる今、此の國に暮す我等邦人の平穩の蔭にある大いなる犧牲を思ひ、萬感胸を衝く。 この地は現在、二つの戰爭博物館と泰緬鐵道センターを擁する一大觀光地となり、 毎秋の「クワイ河鐵橋フェスティバル」はじめ觀光客誘致の行事も盛んと聞く。 悲劇の地を素材とする觀光産業には抵抗感あれど、人々の忘却に委せるよりは良からむかと複雜なる感慨を抱きて歸京せり。 ▼ 第九號へ ▼「逆旅舎」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |