逆旅舎>泰通信 第二十七號
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泰通信 (第二十七號)


         平成十九年七月  大口 憧遊


メークローン河螢吟行


 幾千のか弱き光 明滅し
      太古以來の營み思ふ
   憧遊


 常夏の泰にては一年中螢を見る。盤谷の都市化と農藥散布の普及等にて何處にもと云ふには非ざれども、都心より車にて一時間ほどのメナム河支流、メークローン河は螢の名所、それも雨季の今こそ見頃と聞き、盤谷短歌會十六人(大人十一人)にて新月の一日「螢吟行」を催す。


 小型バスは「一日貸出」故、出發は晝前。まづ海邊の干潟に張出す簡易食堂のマテ貝に似たる細長き貝の名物料理にて晝食。空は晴れ白き入道雲あまた聳えしが、或いは雷雨となるやも知れず、螢狩まで保つや否や、


 雲の峰崩るゝ豫感祕めて屹(た)つ  憧遊


 河沿ひのラマ二世公園、及び巨木の根の中にすつぽりと取込まれたる古寺にて時間を潰す。蝋燭、線香を手に祈りを捧ぐる泰人の參拜客引きもきらず。


 夕刻、メークローン支流の水上市場を冷かし、燒飯にて腹ごしらへして七時半過ぎ、暮れなずむ河岸より屋根つき小舟に乘込む。案の定、空は暗黒となり、對岸上空に雷名轟く。ぽつぽつと雨も落ち來る中、小舟はエンヂンを響かせて小半時遡上、右手のマングローブ樹林へ舟べりを寄す。


 何とこれが螢なりや? 岸邊を飾る無數のか弱き光の明滅は、宛ら電飾の聖誕節樹なり。螢飛ぶ姿も見えず、小舟はそれ以上岸に近づかぬ故、あれは螢なるらむと信ずる他なく、實は人工の電飾なりと聞かば、然もありなむとも思ふべし。


 幼兒の記憶にある日本の螢と較べ、光は小さく弱々し。無聲映畫の如く默々と明滅しつゝ續く熱帶樹林に、ふと思ふ。この幻想的光景は太古より續くに非ずやと。いと不思議なる感慨にてありけり。


 かく遡上すること小一時間。雨脚強くなりて小舟は無情に反轉、歸途につく。雨は家に着くまで降り止まず、げに雨季さ中の螢狩は奇跡的幸運の賜なりと云ふべし。


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