逆旅舎>泰通信 第二十六號
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泰通信 (第二十六號)


         平成十九年六月  大口 憧遊


「ヤマダ----アユタヤの侍」撮影開始


 泰人ならば誰も知る、しかし日本にては誰も知らぬ不思議なる日本人あり。名前はコボリ――讀者諸兄には、泰通信第十四號の御記憶も新しかるらむ。泰の人氣小説『クーカム』(日本語譯『メナムの殘照』)の主人公・小堀海軍大尉と美少女アンスマリンの悲戀の物語は泰にて幾度も映畫やテレビの連續物語となり、その都度空前の當りを取る。


 その對極にあるらむは山田長政なり。戰前戰中世代の日本人は、江戸時代シャム國にて活躍せる英雄として誰知らぬ者なけれど、泰人にて「ヤマダ・ナガマサ」を知るは觀光案内人のみなるらむ。


 泰側に資料らしきもの無き故「根據怪しき物語を戰時中の日本政府、南進政策に利用し宣傳したるもの」と、長政の實在を疑ふ説さへあり。


 現在の泰に殘る長政の痕跡は、アユタヤ日本人村跡の土産物店内の銅像と、ナコン・シータマラートの石碑のみ。銅像は、長政の出身地と傳ふる靜岡縣内のロータリー倶樂部二十年前に寄贈せるものにて、訪るるは日本人觀光客のみ。


 また盤谷の南八百粁のナコン・シータマラートには六年前、元日本留學生の提唱により「山田長政終焉の地」(森喜朗元首相の揮毫)なる石碑を地元市建立。觀光客誘致による「まち起し」を狙ふと傳ふれど、當地に住む日本人は僅か數名。訪るゝ觀光客もなく、地元泰人も殆ど石碑の存在を知らず。


 和蘭側資料に基くにや、日本の小説類は全て、腹黒きアユタヤ王の一人が最後に長政をナコン・シータマラート征伐に派遣、勝利せし長政をその地にて毒殺せりと傳ふ。加へて現地には、その日本兵の仕業とする殘虐行爲の傳説あり。長政物語の日泰親善に役立つは無理なるらむと余は思ひゐたり。


 然るにその泰にて、黒澤明監督作品に感銘を受けしといふノッポーン監督、日泰修好百二十年を機に「日泰文化の融合せる人物を撮りたし」と長政の映畫「ヤマダ――アユタヤの侍」を製作する旨、また前記「クーカム」の日本製歌劇主役を三年前に演じたる大關正義(三十三歳)を長政役に起用する旨、三月末の讀賣新聞報ぜり。泰映畫に於ける日本人の主役も初めてなり。


 同紙によれば、昨秋の泰クーデターに國際的非難集る中、アユタヤ王の外敵征伐の映畫「ナレスワン王」が「泰は泰人にて守る」と愛國心を煽りて大當り中。されどノッポーン監督は「國籍に關係なく泰のため盡せる人の心を傳へたし」と言ひ、青年時代の長政に焦點を絞り「文化の違ひに戸惑ひつゝも日本人の誇りを失はずアユタヤ國王の信頼を得る、人間的部分を強く表現したし」と語る。


 映畫は十一月撮影に入り、來春公開を目指す。コボリとまでは行かずとも「侍ヤマダ」大衆の人氣を得るや否や、ノッポーン監督の腕に期待したきものなり。


 (この記事は主として三月三十日附讀賣新聞外電面を參考とせり)


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