逆旅舎>泰通信 第二十五號
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泰通信 (第二十五號)


         平成十九年五月  大口 憧遊


春耕祭(プーチャ・モンコーン)


 五月には「春耕祭」なる祭日あり。婆羅門教起源の始耕の儀式にて、國王、古代衣裳のシャム武士を從へ、祭王、神女、神牛供奉して種蒔きの儀式を行ふ。この折、七種類の餌を神牛に與へ、いづれを選ぶかによりて其の年の收穫の吉凶を占ふ。今も毎年、盤谷の王宮前廣場にて早朝行はれ、儀式の後、祭王撒きし籾米を民衆我先にと拾ひ集め、豐作の縁起物として持ち歸る習慣あり――とあるを讀み、體驗せむものと思ひ立つ。プーミポン國王御高齡のため、今年は皇太子御臨席といふ。


 泰人の知人より、群衆に押し潰さるゝ恐れある故、體驗は見合す方がよからむと忠告を受くるに、忽ち依怙地の蟲這出でて五月十日早朝、チャオプラヤー河畔の王宮前廣場へ。


 朝七時半、競馬場の如き橢圓形の臨時柵の外側に數千人の群衆坐り、柵には五米置きに警官立つ物々しき警戒ぶり。余も間もなく賣りに來し二十バーツ(約七十圓)のビニール敷物を買ひて坐る。柵の内側には十張りほどの天幕竝び、椅子席に招待客らしき男女居竝ぶ。左前方には二頭の白牛出番を待つ。


 小さきビニール袋一バーツ(三・五圓)にて賣りに來る。さてこそ、拾ひし籾を入るべけれ。


 待つこと四十分、擴聲器より突如輕き洋樂の旋律流れ全員起立。遙か右後方より幾臺かの車列、會場へ滑り込む。皇太子の御到着ならむ。


 やがてガムラン風の泰音樂流るゝ中、中央馬場を靜々と行列廻り始む。二頭の神牛を挾み黄衣の婆羅門僧や白衣の神女等二三十人の行列なり。中央の高き天蓋の下にちらつく白き軍服は皇太子なるらむ。


 小一時間の後、再び全員起立する中、車列走り去る。皇太子御退出か――。その途端、柵外を圍む民衆よりわあーつと喊聲上り、我れ勝ちに柵乘り越えて中央馬場へ突進す。余も慌てて後を追へど、老若男女の渦にて身動きもままならず。群衆這ひつくばりて土中に手を突つ込み、ある筈の籾を必死に探す。踏み潰さるゝとはこの事か。されどここまで來たからには一粒にても持ち歸らねばと焦り夢中にて土を掻き囘す。むむつ、これなるか――。


 籾の幾粒か入りし土の塊をビニール袋に入れ、押合ひの渦より脱出せしところ、天幕の西洋人、余の得意氣なる姿態を寫眞に撮る。異國の土産話の種となりしか。


 扨歸りのバス停を探さむとするうち、雲行怪しかりし空俄かに裂け轟然と雨降り來る。もう一瞬遲からば、ずぶ濡れ泥まみれとなるところなりき。


 翌日、日本語教室の教へ子らに戰果を自慢、あの群衆は皆農民ならんやと問ふに、然に非ず、拾ひし籾は一粒十乃至二十バーツ(五十圓前後)にて賣ると言へり。


 因に此の春耕祭にて神牛の食せしは米、唐黍、草にて、王宮の占師によれば今年は豐作ならむといふ。


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