逆旅舎>泰通信 第二十四號
推奨環境:1024×768, IE5.5以上





泰通信 (第二十四號)


         平成十九年四月  大口 憧遊


日泰修好百二十週年


 今年は日泰修好百二十周年、プーミポン國王も十二月に八十歳の誕生日を迎へらるるめでたき年なれど、昨秋のクーデター、元日早々の盤谷爆彈テロ、舊正月には深南部四縣の爆彈テロと、めでたからざる出來事頻發、政經社會情勢の全てに不透明なる状況續く。


 日泰間の交流は六百年前の琉球王國時代に遡り、その後の御朱印船による交易により、首都アユタヤには彼の山田長政の活躍を傳ふる日本人町も存在せり。徳川幕府、アユタヤ王朝間に獻上品、書翰等の交換もあれど、正式の國交によるものにては無かりけり。


 長き鎖國の後、明治二十年九月、明治政府現泰王朝との間に交したる「日泰修好宣言」は、東南亞細亞諸國と結ぶ最初の條約なりき。


 二十年前の「修交百周年」には中曾根首相も來泰して豫算一億圓の記念事業を提案、アユタヤに歴史資料館を建設せり。されど小淵内閣以降の緊縮財政により、その種の助成金は姿を消す。大使館の廣報資料には、盤谷東京それぞれにての記念式典を始め演奏會、盆踊り、討論會等、樣々の記念行事列擧ありと雖も、特筆すべきものは見當らず。


 中にやや注目すべきは昨年十一月より一月末まで北部チェンマイにて開きし「國際園藝博覽會」の品評會に於て日本庭園(國土交通省、農水省、外務省)一位を獲得せることなり。この園藝博には四百萬人弱の入場あり。外國人も日本、韓國、中國を中心に五十萬人を越ゆ。二月初めには富山より搬入せる櫻、温度調節にて滿開となり話題を呼ぶ。


 泰に於ける日本の地位は、滯在者數、進出企業、旅行者數、輸出入額、援助額 ……いづれも年々着實に殖え、日泰間の絆深まる中、クーデターとテロは大いなる負の要因なり。かかる中、軍事政權・暫定政府のスラユット首相訪日、四月三日、自由貿易協定(FTA)を含む日泰經濟連携協定(JTEPA)に調印せり。日本政府の同政權重視姿勢の表れなるも、修好百二十周年なることも調印の追風となりき。


 在留邦人の日常生活は從前通り平穩に推移するものの、泰の政情一日も早く正常化し、めでたき年に相應しき展開となることを期待したきものなり。


▼ 第二十五號へ
▼「逆旅舎」表紙へ戻る
▼「文語の苑」表紙へ戻る