逆旅舎>泰通信 第二十一號 |
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泰通信 (第二十一號) 平成十八年十一月 大口 憧遊 民主的クーデター Ratthaprahan huachai beep pracha thippatai ラッタプラハーン フアチャイ ベープ プラチャーティッパタイ クーデター影薄まりて秋深し 憧遊 元々影薄きクーデターなり。政廳周邊に戰車竝び、官公廳學校等一日休日になりし後は、街の樣子常と變らず。發生直後は若き女性觀光客等竸ひて兵士と記念寫眞を撮り、軍は兵士周邊にてのゴーゴーガールの激勵舞踊禁止令を出す有樣なり。 タクシン首相(五十七歳)は國連總會出席の爲留守、若干の側近の逮捕あるも間もなく釋放、一滴の血も流れず、世界史上最も穩やかなるクーデターなり。 余、偶々所用ありて歸國、九月十九日朝盤谷を發ちて同夜、都内の我が家に歸着。翌日朝刊一面にてクーデターの報を知り驚く。されど「タクシン首相は王室周邊にうとまれ、逮捕ないし追放は必至」と聞きしは一年前にて、意外感はなかりき。 直後の輿論調査にてクーデター支持は八割強。余の日本語の教へ子等(三十歳前後の會社員)も口々に支持を云ふ。理由を問ふに、タクシンは金權政治なりと。「九十圓醫療」「一村一品運動」による村起し等、貧民層對策に功績ありと雖も、資産總額千四百億圓といふ泰隨一の富豪なれば、庶民の目には金權の印象拭へず。 泰は十四年前の文民政權成立以來、亞細亞に於る民主主義の優等生と見えし故に、クーデターによりその實績一擧に覆りたるを惜しむ報道多かりしが、西歐型民主主義は亞細亞にては馴染まず。 中國東南部より軍隊組織にて南下せる泰民族社會の基本原理は「保護する者と保護せらるゝ者」にて、十三世紀以降のスコータイ、アユタヤ王朝は、これに佛教を取入れ統治の原理となす。謂はば基本は「縦の人間關係」にして、個々の人民の權利、平等等「横の關係」には馴染まず。勞働組合はあれど組織率僅か二分前後にて無きに等し。 泰のクーデターは一九三二年の立憲革命以來、實に二十四囘目。うち成功の十二囘は王室の承認を得しものなり。一九九二年、軍と民衆の衝突により六百餘人の死傷者を出したる流血事件の際も、プーミポン國王(當時六十五歳)の裁定にて收束、それも民衆寄りの裁定なりき。この國は、民主主義さへも王室の保護下にあるなり。 泰文學研究の第一人者、岩城雄次郎氏も「泰の傳統的價値觀と民主主義とは相容れぬもの」(『日タイ比較文化考』)と喝破す。 泰庶民にとりて、王室と自らの日常の安寧あらば、西歐式概念による民主的手續きの有無は關心の外なり。されど國際的には民主主義の尊重を標榜せざるを得ず、今囘クーデター推進派は「民主主義に基く國王の意に準ずる國政改革」を自稱す。洵に「亞細亞的民主主義」と云ふべし。 かかる事實を見るに、泰クーデターを第一面の頭に据ゑて報じたる大新聞の價値判斷には疑問を禁じ得ず。せいぜい何段かの見出しにて十分なり。泰民衆の生活に何の變化もなき故なり。臨時政府の經濟・對外政策も從來と變りなし。失はれしは西歐式概念による民主的手續のみなり。 バンコク都ほか四十縣の戒嚴令解除は十一月末閣議決定せしものの、タクシン支持勢力の水面下の反攻機運も報ぜられ、他方、知識人による「クーデター反對」集會も開かるゝ等、タイの政治情勢は、なほ豫斷を許さぬものゝ如し。 ▼ 第二十二號へ ▼「逆旅舎」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |