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泰通信 (第十八號)


         平成十八年六月  大口 童遊


黄一色 Sii luang luan
(シー・ルウアン・ルウアン)



 プーミポン國王(七十八歳)の在位六十年祝賀行事六月九日より十三日まで執行はれ、 街は黄色シャツを着たる國民にて賑へり。國王の誕生日(一九二七年十二月五日)は月曜日、 泰にては生れの曜日を重視する風習ありて國王の旗も月曜日の色黄色なり。


 今年は政府自ら記念の印入りシャツを販賣「祝賀の休日期間および年内の月曜日に着用して國王への忠誠を示さむ」 と呼掛けたれば、飛ぶが如き賣れ行きに値さへ上りぬ。かくて慶祝祝賀の九日、五十萬人以上の黄色シャツ宮殿前廣場を埋め盡す。 街なかにては黄シャツは半數ほど。着用せるも着用せざるも互ひに「マイペンライ」(氣にせず)といふも泰人氣質なり。


 十二日の式典には、我が天皇皇后兩陛下を始め世界二十五ケ國より王族出席、 其の模樣をテレビ中繼及びニュースにて繰返し放映す。穏やかなる笑みを湛へ親しく國王夫妻と歡談し給ふ兩陛下は、 泰國民に強き印象を與へたるが如し。余の日本語の教へ子らは「御若し、御優し」と口々に感想を語りき。 泰人の誇りとする國王の祝賀に兩陛下日を重ねての出御、日本への好感高まること一方ならず。


 兩陛下は十三日チュラロンコーン大學、十四日はシリトーン王女の御案内にて古都アユタヤへ御幸し給ひ、 十五日御歸國。平成三年、御即位後初の外國御訪問にも泰國が選ばれ、十五年ぶりの今囘、 同じ国への即位後二度の御訪問も泰が初めてなり。それ以前にも皇太子ご夫妻として六度、秋篠宮の御訪泰は更に頻繁にして、 日泰皇王室の御厚誼は親戚付合の感ありて慶賀の至りと云ふべし。


 天皇陛下の東宮に在しましける時、御所にて養殖し給へるナイル原産の淡水魚を國王に寄贈せられたるが、宮殿の池より泰全土に増殖、今や「プラー・ニン(プラーは魚)」と呼び泰庶民の愛好するところとなるはよく知られたる逸話なり。今囘御訪問時、泰メディアも屡々紹介す。この魚、時には我が家の食卓にも上る。


 プーミポン國王(ラマ九世)は、明治天皇にも比肩せらるゝラマ五世と竝ぶ名君と云はれ、「國民の爲に全力を盡すが國王の義務」との御信念にて農漁業の育成、教育、醫療等の事業に率先取組み給ふ。片や米國生れらしくジャズを愛して自らサクソフォーンを演奏、作曲、油繪、寫眞等に才能を發揮し給ふ文化人なり。


 一九三二年の立憲革命以來、國王は政治に關與せざる建前なれど、一九七三年および九二年の流血事件も國王の呼掛けにより鎭靜。現今のタクシン首相獨走による政局不安も、國王の一聲にて正常化へ向ひつつあり。軍部・與黨の支配力なほ強き此國にて、國王の「鶴の一聲」が重みを持ち、それも常に民主化の方向にて解決する不思議なる國なり。御高齡の國王の御健康を泰國民と齊しく祈るものなり。


  國王の徳を讚ふる黄のシャツの
          巷に溢れ夏盛り行く


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