愛甲次郎◆中国紀行
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『中国紀行』(平成十六年五月) 愛甲次郎


  第八回


◆ 五月七日


 朝ホテルを出で江堤に歩を進め晴川閣に到る。 長江大橋轟然として列車通過せり。対岸の黄鶴楼電光一閃、観光客の照片撮るならむ。土地の人是の曇天を以て好日と為す。 穏やかなれども風、凧を揚ぐるに足る。古人の愁は無きも 詩情自から到る。漢陽樹、芳草萋々、 崔の詩の如くなり。 前日黄鶴楼にて李崔比較せし折は後者を良しとすること能はざりしも、長江の両岸を見るに及び之も亦好しと為す。


 漢陽の飯店を後にして漢口に入る。地図を見るに武漢は長江、 漢水のみならず数多の湖沼に囲まれし一群島にも似て正に水都といふべく流石に湖北省の省都なり。 されど街路を往く限りは水の目に触るることほぼ無ければ他の大都市と変るところなし。 繁華街のとある餐庁に車を停め昼餉をとる。瀟洒なる店にして菜も美味なり。過食を恐る。


 武漢空港の書店にて紅楼夢の装丁重厚なるを求む。値僅かに七十元、別送せば送料本代を超ゆべしと言ふ。 数多書籍ある中に日本に関連せるもの中曽根元総理の著書一冊のみ。日中関係の現状を知るに足る。


 搭乗機地を離るれば忽ちにして一面の水田直下にあり。 数日の旅に緑少なき大地に慣れたる眼には我国の風景に似て懐かしきも、水、土色に、 田の区画細分化されやや趣を異にす。漢水と覚しき河を過ぎたる後数分を出でずして機は雲上にあり。 上海に至るまで一路白雲尽くる無し。


 虹橋空港より渋滞の中宿舎の新錦江大酒店に向ふ。車中案内の王氏大廈の一群を指差して我家彼方にありと言ふ。 彼は東北は吉林省の出身にして大学は東北師範を卒業せり。卒業後教職に就きしが、 程なく江蘇省南通市の求人に応じ、始めて吉林省外に出づ。 大学にて日本語を修めたるが故に観光局に職を得、爾来数十年を経たり。家族は今尚南通にあり、彼のみ上海に住まふなり。


 上海雑技を見物の予定なれどもそは慌しきに過ぎ、且、皆雑技は既に見たれば割愛するに若くはなしとて予約取消せり。 土産の買物は新茶人気あり。余は出立に当たり荊妻山櫨子を求むるによりその有無を質せるところ 土産店の者駄菓子に作り為せるものを他所より購ひ来りき。


 投宿後再びバスにて外灘トンネルを経、世界第三と称せらるる金茂大廈の前を過ぎ、 夕食を摂らむと海鮮料理シーパレスに赴く。こは黄浦江の畔に繋留されし艀を餐庁と為せしものにして海鮮料理として夙に名声あり。 二階の個室の窓を開けば川風爽やかにして対岸の外灘は明るく彩られたり。過食を恐れつつも箸は進みぬ。 紹興酒の杯を空けつつまた何時の日か此処を訪ふことのあらむやと歎ず。



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