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『永泰公主』 安東路翠 作 - 新作能 謠曲 - 二


なうなう如何に、はや、御去りたまふか
御身はいかなる人にやあらん


- 乾陵 -



これは乾陵ちかくに棲み慣れし女にてさむらふ
うつろふ風のいろに出て
都の風情口づさみ
ここに立ちて、異國の人待ちけり
我、舊きみ墟の春秋を愛着し、
幾清明逝くを知らず
青烟昇る梁山の長閑の郷の柏樹の庭 日本より訪れ來たる尊き因
しばし案内せり
ここなり永泰公主李仙惠の墓室なり
四壁の繪閑雅を極め
並みし官女の男裝の 麗人も交入り 窈窕の氣ありて、
髷いよいよ高く豐けきを竸ひ 華美の履 麗し團扇 胸元の如意肅々と 高杯かかげゆるやかに描きあり
しばし見入るや詩文の由か 半眼の瞳の奧の愛しきや恨みを偸む
唐朝の吹簫の韻聞こゆるか
これなる唐墓壁畫を倚りみるや 朱砂、鐵紅累、鉛丹、密陀僧、群青、白土、墨等にて描き げに思へば光、濕度、人の息、空中の今の科學要素
成すべきは褪變を防ぎ 後の世までも心せよ これはみな所以日本の古代の壁の繪と凡乎一祥也
更にこの冢高さ十四尋幅五十六尋 地下羨道の八十七尋を下り行けば 青龍白虎樓閣の儀仗隊の馨紛々と 副葬品の物の點 金玉銅陶千三百五十餘顆 財寶の巧みなるを賞む
恨み望む家屋式石棺 屋根に到れる線状の彫刻美 寶相華文飽かずたどれば 丸き苔生ふ天井に
日月星の描きあり
月の桂の文字あり
白石の獅子天馬に守らるる 乾陵の陪冢なる
唐墓といふに壁の繪に み佛のみ姿なしこれ如何
まばゆき財寶にみ佛のみ像なし如何なるや
それなり 羨道の廊に雲中出行の圖ありてまかつ雲をまけり
まかつといふは魚といはず龍といはず鬼神たるも今や佛の心持ち來たりて雲中に形象現し
海中より天井へもんどりうつて浪かしら わが車馬搬ぶなり
まかつのみ佛の界知れり
不思議のものやはある 佛の法に入る門出のけしきにやある覽
         
- 注 -

*因=えにし
*朱砂、鐵紅累、鉛丹、密陀僧、群青、白土、墨=壁畫に使用されてゐる繪具
*物の點=もののかず
*苔生ふ=黴苔のより褪變
*まかつ=鬼神なれど後に佛心を得


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