愛甲次郎 - ヴィヴェカーナンダ |
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ヴィヴェカーナンダ その一 本日ご参会の各位にしてスワミ・ヴィヴェカーナンダを知らざるはなかるべし。スワミは現代印度に生を受けたる最大の精神的指導者の一人にして、ヴェーダンタを中心とせる印度の伝統思想のいと高きを欧米に紹介せり。一八六三年に生まれ、四十年にも及ばざる短き生涯の内に大いなる業績を残しき。就中一八九三年シカゴにて開催せられたる第一回世界宗教会議にヒンドゥ教代表として出席,並み居るキリスト教、イスラム教、仏教その他の各宗教の代表者を圧倒して聴衆の関心を独占し、熱狂的支持を得たり。彼の主張せるは普遍的宗教と寛容の精神なりき。 スワミは幼少よりラーマクリシュナなる聖者の薫陶を受け、師の死後その後継者としてラーマクリシュナ・ミッションを創設、師の教を世に弘めたり。 余、古くより名のみは知りたれどその事績を詳らかにせるは、三年前、一九九五年の七月頃ステートバンク・オブ・インディア日本駐在代表ヴィシュワナタン氏の与へし小冊子によりてなりき。その中に師ラーマクリシュナ、ヴィヴェカーナンダをして神秘体験を得さしむるの挿話ありて、余に強き印象を与へぬ。それより前パラマハンサ・ヨガナンダの「或るヨギの自叙伝」にて相似たる話を読み興味を抱けり。グルの弟子を導くにかかる経験をなさしむる世界に強く惹かれぬ。次の機会にヴィシュワナタン氏に会ひ、礼を述ぶるに彼逗子にラーマクリシュナ・ミッションの支部あれば他日貴公を其処へ誘ふべしと語りぬ。この約は彼の帰任によりて実現せざりしも、余後任に逗子の住所を聞きて支部を訪れ、メダサーナンダ師に会ふを得たり。その折師紙袋に両聖者、ヨガ、ヒンドゥ教に係る日英の書物を満たして余に贈りぬ。余これ等を通読するに大いなる興味を以てせり。 余外国人に日本または日本人につき説明をなすべき機会職業柄甚だ多し。されど仏教につきては殆ど之を知らず、之に触るること寸毫も能はざりき。仏教その理解に難く、些かの読書によりて会得すべきものに非ざればなり。而るに数年前外科の大手術を受け二三ヶ月の間床を離るること得ずなりぬ。これを契機として永年積み置きし仏教関係の書籍も遂に片端より読まるることと相成る。されど当初は何を論ずるや一向に得解さず、暗中模索の状態は続きぬ。やがて朧げにその姿浮上するに及び、かかる興深きものに如何なれば今迄気付かざりしかと覚え、次第にこれに没頭するに至り、隣接する印度哲学、ヒンドゥ教、ヨガにも関心の輪は広がりつ。かかるほどに仏教の理解し難き所以も漸く知らるるに及びぬ。仏陀の到達せる真理を言語或は論理にて表さんとするは所詮不可能と言ふべし。言語或は論理は感覚的物質世界の事象を扱ふべく、之を超ゆる超越的次元は扱ふべからず。依ってかかる超越的次元を敢へて表現せんとせば、例へば仏教経典等に於けるが如くパラドックス、比喩、詩的表現の類を好んで多用せざるを得ず。かるが故に西欧流の思考方法に慣れたる理性至上主義の知識人には仏教の難解なるは理の当然と言ふべし。 日本において明治維新、敗戦の二度の大変革期を経て仏教は人々の表層意識より将に消えなむとす。特に知識人に於いて然り。されど現在第三の変革期において我等が価値観をその根底より問直すべきときにあたり、日本人の社会的潜在意識として未だ余喘を保つ仏教を注視せざるべからず。而して現実に社会を動かす知識人こそ仏教に関する理解を深むべきなれ。ヴィヴェカーナンダにつき教はることありしは、如何にして彼等の関心を仏教に向くることを得べきと腐心しつつありし時なりき。 ▼「逍遥亭」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |