時の韻(ひびき)高野山觀月會
空海入唐千二百年記念 安東路翠
高野山に登拜すべく、かつらぎ町より天野の里に入る。
折から雲低く、邊り一體霞に煙りて墨繪の世界を窺ふかのごとき美しき樣なり。丹生津比賣(にふつひめ)神社を拜し、いよいよ山上に至る。朱塗りの豪麗なる山門の前にて聖域を遙拜し、觀月の御堂へと向ひたり。
觀月の密教冥想、思ひもかけざりし風雨の中にて始まりぬ。颱風急速に近づきつつあるが故なり。
「阿字觀法」につきての説明ありてより冥想始まるも、嵐一段と激しく、風雨あたり一面を吹き打ち當りて講堂中がとよめり。何百とさがる釣燈籠がゆらめき始め、屋根の梁、めりめりと鳴る。

翌朝、奧の院への道を辿るに、昨夜の颱風により巨大なる松一本、横倒しになりたるを見る。運良く墓石をあまり傷つけてはをらざりしも、かくのごとき大木の幹が半ばにて二つ折になるほどの、規模の大なる颱風十六號なりしを知る。木立は未だ雨の露を降らせて清々しく、嚴しく聳え立ちたる夏の老杉、深々とせる清氣を生み出しをれり。參道の兩脇の木々と墓石群の根元には、濁りなき清水一面に流れ、音もなく地面を洗ひ清めてゐるに氣づく。

大杉の間には無數の墓石の竝びたり。日本の歴史の一翼を擔へる多くの人物の、敵もなく味方もなく確執を超えて集ひ、石碑石塔に御名を竝べたり。武田信玄、上杉謙信の墓が共にあるも感銘を與ふるものなり。宗派を超えて親鸞上人、法然上人も、この大日如來の現成せる密嚴淨土に休らはるゝは、日本佛教の精神構造をよく反映せるものと見ゆ。
大師に供へんがために維那の毎日ご膳を運ぶ燈籠堂へ登れり。堂内にある無數の燈籠には灯がともされて一氣に俗心を洗ひ、大師の希求せる境地の有難さを一燈ごとの重なりの中に教へらる。龍華の彫られたる「貧者の一燈」も中にまじりたり。
堂内にある無數の燈籠には灯がともされて一氣に俗心を洗ひ、大師の希求せる境地の有難さを一燈ごとの重なりの中に教へらる。龍華の彫られたる「貧者の一燈」も中にまじりたり。
御堂の眞後ろに御廟が幽邃なる靜けさを湛へ、檜皮葺きの御廟はいとど清げなり。空海ここに入定されてより遍照の光を發せられ、生死を超えたる壯大なる氣を送りづづけ給ふなり。
この日、靈寶館には、國寶の「阿彌陀如來來迎圖」、展示されをりたり。菩薩はそれぞれに異る樂器を持ちて樂を奏でたまう。阿彌陀如來の放たるる金色の光に包まれたる演奏は、如何にか妙に美しき音色ならむ。尊き眞言の呪も唱へられ給ふか、豐なる食料の捧げ持たるゝなど見るほどに、奏樂は賑しさを増して聞こゆ。天竺傳來の釋迦の法燈を今に傳へられたる「弘法大師像」も悠揚たるお姿にて坐しはべりをり。
日沒、聖山を降りむとするとき、弘法大師空海のみ心を象徴せるかのごとく、高野の山に、缺くることなき一個の明珠、月の煌々と輝くを見る。昨夜の嵐の中に觀想せる内なる月が想ひ出でらる。月は堂塔を一面に照らし、眞言の金光をあらためて示現せんと中天に浮びをりしなり。
御堂の眞後ろに御廟が幽邃なる靜けさを湛へ、檜皮葺きの御廟はいとど清げなり。空海ここに入定されてより遍照の光を發せられ、生死を超えたる壯大なる氣を送りづづけ給ふなり。
この日、靈寶館には、國寶の「阿彌陀如來來迎圖」、展示されをりたり。菩薩はそれぞれに異る樂器を持ちて樂を奏でたまう。阿彌陀如來の放たるる金色の光に包まれたる演奏は、如何にか妙に美しき音色ならむ。尊き眞言の呪も唱へられ給ふか、豐なる食料の捧げ持たるゝなど見るほどに、奏樂は賑しさを増して聞こゆ。天竺傳來の釋迦の法燈を今に傳へられたる「弘法大師像」も悠揚たるお姿にて坐しはべりをり。
日沒、聖山を降りむとするとき、弘法大師空海のみ心を象徴せるかのごとく、高野の山に、缺くることなき一個の明珠、月の煌々と輝くを見る。昨夜の嵐の中に觀想せる内なる月が想ひ出でらる。月は堂塔を一面に照らし、眞言の金光をあらためて示現せんと中天に浮びたり。


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