ステッキの呟き 田川 五郎
吾は漆黒(しつこく)の薄衣まとひたるステッキなり。もとは灼熱の地南印度に育ちたる黒檀の木にして、はるばる萬里の波濤を越え、日本に赴き、優美なるステッキに生まれ變はりぬ。初めて多くの客人(まらうど)に見參せしは、東京は神宮外苑前、「チャップリン」と言ひける老鋪(しにせ)にて、指折り数ふれば、早やふた昔前のことなりき。
當時、先帝の諒闇(りやうあん)未だ明けやらず、國民深き悲しみに沈み居りたる頃なり。あるひと日、背高く、人品卑しからざる初老の紳士、飄然(へうぜん)と入り來て店内を巡りぬ。されど陳列の品々いづれが菖蒲か杜若、品選びえ易からずと思はれたりけん。店主を呼び、「余にふさわしきと覚ゆるもの、二、三持て」と仰せらる。
店主、畏つて直ちに品選び始めつ。されど商ひに敏(さと)き性(さが)なれば、「よき客ご參なれ。最高の逸品求めまゐらせ、巨利を得ん」との欲心むらむら湧き出て、金銀ちりばめ、装飾ひときは豪華なる舶来品を恭(うやうや)しく差し出しぬ。
「これ、伊太利國より近時到來せしもの。ご身分に、まことにふさはしきお品とお見立て仕候」
「して値ひ、いくばくぞ」
「正値十二萬圓なれど、清水の舞臺より飛び降りたるつもりにて、十萬圓にていかが候や」
「余は一介の微禄なるサラリーマン。かくの如き高價なるもの持つ身分にあらず。もそつと求め易き品見せい」
店主、内心舌打ちして引き下がり、改めて格段安きもの數本選び出す。吾、僥倖にもその選に入れり。紳士、しげしげ吾を手に取り見給ひて、「素朴にして趣きある形、堅牢なる拵(こしら)へ、木目の色いと美し。いざこれを求めん」とのたまひける。逸品多かる中より、吾をお選び給ふとは、さすがお目高き御仁(ごじん)と拝察す。賣買めでたく調ひて、これにて主從の契り結びつ。
主となりし人、當時腰痛の宿痾(しゆくあ)あり。されど白波騒ぐ磯邊へ、毎夕そぞろ歩きのお供を重ぬるほどに、腰の痛みいつしか和らぎ、つひに雲散霧消せり。主、大きに喜び、「ステッキなるもの、かくも腰痛に効果ありしや」と、ご寵愛なのめならず。吾も、よき主にり会ひぬと、忠誠の誓ひ深く心に刻みぬ。

然るに主、何事にも飽きやすき性なり。お體癒えて一星霜を經ぬだに、吾が事を忘れ給ふことしばしばありき。日常の御用向き、漸次減り、つひに引退の憂き目に遭ふ。埃(ほこり)積り、蜘蛛の糸怪しげにたなびく玄関一隅にて蟄居(ちつきよ)し、「狡兎(かうと)死して、走狗(そうく)烹(に)らる」とはこのことならん歟(か)と、幾たび涙を流せしことぞ。されど天は吾を見捨て給はず、再起のとき漸々う巡り來たりぬ。櫻花散り果てしあるいち日、主、いかなるおぼしめしかは知らじ。久々に吾を召し出され、他出のお供を命ぜらる。のちに明らかになりし歸參に至る事の顛末(てんまつ)、ここに記るさん。

そは卯月(うづき)十五日、主、御寮人様伴ひ、久々に箱根ご静養の旅に出づ。芦ノ湖めぐり、紺碧の天高く聳(そび)ゆる靈峰不二を伏し拝み、宿に着きしは、陽(ひ)はや山の端(は)に隱れ、冷氣天(そら)に滿ち、薄闇漂ふ頃なりき。直ちに入湯、ゆるりと汗流し旅のお疲れ癒されぬ。
「夕餉(ゆふげ)のお仕度調ひ候」との案内にて、まさに座に着かんとされたる瞬間、如何なる事ぞ起こりたりけん。主、突如どうと床に轉(まろ)び落ち、左耳上と左肩を柱にしたたか打ちつけ給ひぬ。瞬時のこと故(ゆゑ)、周圍の人々ただ驚き呆れんばかり。氣をば失ひ、倒れ伏したるままなれば、直ちに容易ならざる事態と悟りて、周章狼狽(しうしやうらうばい)することなのめならず。
救急車、馳(は)せ參じ主を擔(かつ)ぎまゐらせ、弦(つる)を放れし矢の如く山中を下る間、主漸う気を取り戻し給ひぬ。されど顔面、仁王もかくやとばかり腫れ上がり、別人の如し。左耳の聽力失ひ、三半規管損(そこな)ひし故か、眩暈(めまひ)激しく、立ち上がること能(あた)はず。直ちに醫院にて入念なる檢査、治療施し、「幸ひ腦は正常、骨折なんども無之(これなく)、旬日のうちに回復するやらん。」との藥師(くすし)の見立てに、御寮人樣、漸く安堵(あんど)の色浮かべ給ひぬ。
後に仔細(しさい)に檢分するに、床の段差に気づかず、轉び落ちたると覺ゆ。何たる不覺ぞ。齡(よはひ)古稀を過ぎ、體力、氣力ともに衰へたる證(あかし)なれ。主、悔悟(くわいご)の念を込めてのたまふやう、「もし手にステッキだにあらば、かくの如き醜態を見すまじきものを。そをなほざりにせしは、余一代の失策なり」

かくて吾に歸參の機會到來す。埃拂ひて身を清め、再び伺候(しこう)に罷(まか)り出でたる次第なり。怖ろしかりし事故なれど、吾にとりては幸ひといふべき。以後、主のご寵愛舊(きう)に倍し、朝夕のご散策に影の如く付き添ひまゐらするを常とす。然れども近時つらつら思ふに、世人の吾等ステッキへの理解、未だ十分ならざるを甚(はなは)だ遺憾とす。ここに一例を擧げん。
一夕ご散策の途次、偶々(たまたま)出會ひしご友人、「杖(つゑ)をお持ちとは、どこぞお體にお加減惡ろきところありや」と問ふ。主、「格別惡ろきところなし。これ杖にあらずしてステッキなり」。知人、このお答へをよく解せざる態にして、しばし怪訝(けげん)なる面持ち。「お大事に」との曖昧(あいまい)なる言葉殘して立ち去りぬ。かくの如く、ステッキと杖の違ひをばわきまへぬ人、世にいと多し。
そもそも杖と吾等とは似て非なるものなり。杖は歩行を容易ならしむる棒にして、わが朝(てう)に於いては古(いにしへ)より廣く使用さたるものなりき。「轉ばぬ先の杖」「杖とも柱とも」なんどの俚諺(りげん)多々あるやうに、その種類は多種多様。今を遡ること一千年、功績多き重臣に朝廷より賜りしものに、握り箇所にいと愛らしげなる鳩の像を据ゑたる鳩杖あり。鳩は八十(はと)に通じる故、「體勞(いたは)り、八十歳まで長壽を重ね、朝廷に盡くせよ」とのことならん(ちなみに戰後にては、吉田茂にこれを賜ると聞く)。
盲人の持つは、頭(かしら)が丁字、端は安定性よろしき又(また)状の鹿杖(かせづゑ)。撞木(しゆもく)杖とも白杖とも言ふ。修驗者は頭を錫(すず)にて拵へ、數個の鐶(くわん)をぶら下げ、ガランガランと鳴り響かせて歩む錫杖(しやくぢやう)。山野に起臥(きぐわ)する山伏は、八面角の金剛棒(こんがうぼう)、宿場の駕籠舁(かごか)きは、樫の木削りたる息棒なり。險しき道中を行く上に、いづれも缺くべからざる道具にして、棒と呼べども杖に異ならず。
かくの如くわが国の杖は、楓(かへで)、樫、椿、竹なんどの堅き木を削りて、歩みの補助を目的に拵へたるものなり。されど趣ある装ひ一つだにあらで、いと風情に乏しきを遺憾とす。片や吾等ステッキは歩行のしやすさもさることながら、所持者の威嚴、優雅なる振舞ひを、そばだたしむる役目を果たすものなり。堅牢さに於いて、一歩讓るとは申せ、優美なるさま、形、色、めでたかりしことこの上なし。卑俗の譬(たとへ)にて恐縮なれど、鄙(ひな)の女と京女ほどの隔たりありといふべし。これ、な忘れ給ひそ。
ステッキの長き歴史をひもとけば、古代エジプトにて、早くも國王の權威の象徴として使はれ、十六世紀英吉利(イギリス)にて紳士階級の間に廣まり、やんごとなき貴婦人も競ひて愛用すとの記録あり。素材を磨き、金、銀、寶石なんどちりばめ、世人の目驚かす富豪も多かりとぞ。わが國にては、明治初年、紅毛碧眼(こうもうへきがん)の人士、そを持ち込みたるを嚆矢(かうし)とす。世人忽ち愛好し、明治中期にかけて大いに流行せり。こは好奇なるものを好むわが國民性のしからしむるところにはあらず。御一新後の廢刀令にて、腰より武士の魂奪はれ、憤懣やる方なき舊士族が、大小の代はりにステッキ携へ、闊歩(くわつぽ)する者多かりしなり。仕込み杖を模し、ひそかに刃(やいば)をしのばす者も居りたり。大正十一年、かの無政府主義者難波大助、畏れ多くも虎ノ門にて攝政宮のお命狙ひしは、銃を仕込みたるステッキなり。
兔(と)まれ角まれ、ステッキは年を追ひて全國津々浦々に廣まり、老いも若きも、携行するは珍しからざる光景となりぬ。試みに小津安二郎の東京物語、麥秋なんどをご覧ぜよ。初老の男役演ずる笠智衆が、いづれの場面にてもそを常に携行するを見るべし。この映画作られし昭和三十年前後、ステッキは雅(みやび)なる風俗ともてはやされたること、これを見ても疑ひなし。然るに何たることぞや。現下のわが國にて、腰曲がりたる老人と雖(いへど)も、ステッキ持つ者はきはめて少なし。そが忽然(こつぜん)と市井より姿消したるは、いつのことにてありなん。何故(なにゆゑ)なりや。この大いなる變化を、世に社會學者多しと雖も一人として研究せる者なきを怨(うら)む。

吾ひそかに思へらく。吾等が世を忍ぶ身となりしは、三十年代後半の昭和の御代、高度成長の喇叭(ラツパ)、高らかに鳴り響けるのと、軌を一にせるにあらずや。この時期、社用繁多をきはめ、人々、東奔西走し、席を暖むる暇(いとま)あらず。ステッキつきパイプくゆらせ、悠然と街行く紳士は、馳せ回るサラリーマン、車の群れに遮られ、歩みままならず。はては閑暇弄(もてあそ)ぶ人間と嘲らる。
この間洋傘の改良著しく、ステッキ摸せる優美なるもの相次ぎ生まれ、雨止まば、畳みて腕にかけ、あるいは地につきて歩行の助けとす。かくて吾等は無用の長物なりと、弊履(へいり)の如く捨てられつ。げに高度成長の悲しき犠牲者にあらずや。
近時外遊せし一紳士、吾に向かひ聲をひそめて言ふやう。「かかる事情、海の彼方(かなた)もまさに同じ。かの倫敦(ロンドン)と雖も、山高帽かぶりステッキつく英吉利紳士、路上より消ゆ。驚くなかれ、リージェント街にてステッキ商(あきな)ふ店一軒だになきを」。
かかる話を聞かば、暗澹たる気分に襲はるるは人情なれど、吾は然からず、むしろ大いなる樂觀論者なり。榮枯盛衰のはかなきはこの世の習ひ、猛き者はいつしか滅び、か弱き人も時至れば勢ひを得ん。バブル崩壊せしよりこの方、モーレツ社員地に隠れ、人々ゆとり求めて、ひたすら安穩に過ごすをよしとする時代來りぬ。世代交替いまやたけなはにして、定年老人に溢る。
いまこそ吾等が出番を聲高(こわだか)に叫ぶ時にあらずや。人々、戸外にて浩然(かうぜん)の氣を養ふ逍遥(せうえう)のひと刻(とき)、ステッキは缺くべからざるものなり。足腰衰へ、不慮の躓(つまづ)き憂ふる人は、吾が主の如く、須(すべから)く携行すべし。車中にてステッキつく紳士を見ば、いかな傍若無人たる若者と雖も、進んで席讓る禮(レイ)をば盡すべし。夜間の歸途、暴漢に襲はれしときは、振りかざして反撃の武器にもならん。その用途多々あるは、言ふもさらなり。
吾が言に頷(うなづ)き、そを求めんとする人あらば、吾が故郷、東京唯一の専門店チャップリンを訪(おとな)ふことを勸む。在庫一萬本、必ずやよき伴侶(はんりよ)に巡り會はん。然らずんば、最寄百貨店の紳士用品賣場へ赴くべし。介護用品賣場には行くべからず。そこにあるはステッキにあらず、すべて杖なり。この違ひ、ゆめゆめ忘るることなかれ。




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