落頭民のこと 岡本綺堂に支那志怪小説數篇の抄譯『支那怪奇小説集』一巻あり。六朝晋の干寶撰『捜�~記』より採録せられたる中に落頭の民を記したるあり。題して「首の飛ぶ女」と云ふ。綺堂これを現代文に譯し、その文體例へば「晝の間はちつとも變ることはなかつた」のごと し。余、試みにこれを文語譯して左に掲ぐ。思ふにもとより『捜�~記』、支那漢文の原典あり綺堂が現代文譯あり。これを反譯して文語とせんには原典に相似るを期し得られずとも言ふべからず。しかるに拙譯、原據に相離ること幾千里にして片影だも止めず。干寶笑つてこれを諒とせよ。 　　　　　　　江東龜戸住人萩野貞樹 　秦時南方に落頭民あり。よく其の頭飛ぶ。郷閭に祭あって虫落と謂ふ。因って落頭民と称せらる。時に呉将朱桓の一下婢、夜陰睡中に首抜け、狗竇また?戸より出でて空中を徘徊す。耳殻を以て翼となすと見ゆ。同房の婢怪しみて臥床を照らし見るに、胴体のみありて首無し。いささか冷えたれば衾にて覆ひ置くに、戊夜に至りて首舞ひ戻る。戻れども衾に障へられて胴に附くことを得ず。首は迷ひ狂ひて幾たびか地に墜つ。氣息急迫して死なんばかりに見ゆ。あわてて夜着を取り払へば滞りもなく元に納まる。 　連夜の事ながらこの下婢日中は常と異なることなし。されど畢竟異類なれば捨ても置かれず将軍これを解雇せり。世の人の語るを聞けば是は落頭民が通性にして、怪しむべきものにもあらずとなん。 　南方出征の諸將士、往々にしてかかる奇怪に遭ふ。或人試みに銅盤にて覆ひ置くに、首戻るを得ず遂に落命せりとぞ。 　 ▼「文藝襍記」表紙へ戻る ▼「詩藻樓」表紙へ戻る