泰俳句事情――常夏の季語    十六



ドリアンの咲き滿ち溢れこぼれゐし                                     長尾 俊郎(*1)
 
「果物の王」ドリアンは、この連載四囘目で 暑季(三〜六月)の季語として紹介せり。されど「その實からは想像もできないやうな、小さなクリーム色の花が木いっぱい無數に咲 く。一月末頃が見頃」と書くは作者の俊郎氏。故に多くの泰の花と同樣「花ドリアン」も涼季(寒季・十一〜二月)の季語なり。


アソークの花下(くわか) なる日陰縁起聞く
聖樹ともいふ無憂樹の咲きこぼる
                                     長尾 俊郎(*2)

「寒季のタイの庭に芳醇なる花を咲かせるアソーク」と書くは、この連載に度々登場頂くレヌカー・ムシカシントーン氏(*3) 。「ソーカ」は「憂」、「ア」は打消しの「無」にて、「アソーカ」の漢譯は「無憂樹」なり。日本に於ては釋尊生誕の樹とされ、ルンビニー園にて休息せるマヤ夫人アソークの花餘りに美しく思はず手に取らむとして産氣づきたりといふ。然るに南傳佛教に於ては、釋尊誕生せしは沙羅樹の下なりと傳ふ。
  印度に於ては古來、アソークを聖樹として樹下に捧げ物をし供養する習はしあり。また古き佛教遺跡には樹下に佇む樹精ヤクシニの浮彫あり、聖樹と女は曾て生殖と豐饒の象徴なりき。それ故釋尊生誕の傳承を佛教美術として表現せむとするや、分娩するマヤ夫人をヤクシニの延長として圖像化せしならむ。頭上の樹の傳承も、教團により樣々なる違ひ生ぜしならむ ……とレヌカー氏の蘊蓄は盡きず。
  長尾氏の二句もレヌカー氏より學びし縁起を踏まへて詠みたりとぞ。かくて「アソーク」「無憂樹」も 共に涼季の季語となる。


*1 ・2 長尾俊郎『バンコク句日記』四(一九九九年)。 作者は一九九五年に初来タイ、定年後にも二○○六 年まで一年餘、タマサート大学にて日本語を教ふ。
*3 舊姓・秋山良子(泰國日本人會婦人部長)著『タイの花鳥風月』(一九八八年)。
 

           
(泰國邦人紙『VOICE MAIL』より)


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