泰俳句事情――常夏の季語 十四 戸惑ひはブーゲン花咲く年の暮れ 大口 憧遊(*1) 花万朶ブーゲンビリア溢れけり 嵯峨 春野(*2) 十二月は、いづれの句會も「歳末一切」とする習しなり。常夏の地にても歳末は歳末に違ひなけれど、平成十六年、泰にて迎へし初の師走は、咲き誇るブーゲンビリアに奇妙なる違和感を覺ゆ(「ブーゲン花」は、ブーゲンビリアを俳句に取入れ易くしたる造語)。 さてこのブーゲンビリア果して季語なりや。歳時記には記載なし。最近の「季寄せ」(*3) に記載あるものもありて、尚更ややこしき次第なり。季寄せは沖繩を意識せるものの如し。されど一般日本人の日常には無きため、俳句に詠むことも少なし。それに反し、泰にては日常身近に見るもの故、やはり「泰の季語」とすべきなるらむ。また「季寄せ」にては夏の季語なれど、泰にては涼季(寒季)に華やかさを増す故、涼季に多く詠む。 一句目には「年の暮れ」もあり、俳句の禁じ手「季重なり」(季語二つ)となれども、この句に於ては「年の暮」の季感強き故、許さるべし。 筏かづら露路と名付けむ我家前 横田 赤楊(*4) 「筏かづら」はブーゲンビリアの和名。メナム句會(*5)は五十年の歴史を持てど、當初は片假名外來語は少なく、和名或いは漢語にて詠むこと多かりき。 作者は戰前より泰在住、メナム句會創設者の一人。畫家として繪畫と俳句に多くの弟子を育て、一九八五年、九十歳にて他界す。前年、水上市場風景を世界に紹介せる功績により泰國政府より王冠勲章を授與さる。 *1 泰國日本人會會報『クルンテープ』二○○四年一二月號。 *2 同二○○二年三月號。作者は一九九九年より二○○四 年春まで泰在住。 *3 季語と例句の小冊子。歳時記と基本的には同じなるが、 季語の説明は簡略、例句數も少なき代りに、収録せる 季語の數多し。 *4 一九七九年泰國日本人會「メナム句會」記録より。 *5 泰國日本人會の俳句會。 (泰國邦人紙『VOICE MAIL』より) ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |