泰俳句事情――常夏の季語 五 スコールや燈を昏うしてかつら店 山本 みどり(*1) 突然のスコールに暗うなりて不氣味なる鬘店の情景なり。四十年前のスコールにつき作者(故人)は「一天俄かにかき曇り窓といふ窓、扉といふ扉突如がたがたとひしめき、邊りは夕暮の如く暗うなる。と、途端に小石の如き雨粒、天の水槽を覆せる體にて襲ひかかる」と、その凄じさを書き殘せり。されど森林の濫伐等による氣象變化或いは人口増、ビル濫立により「大地を叩きつくる雄大無双なるスコールの全景を目の當たりにする空間消滅せり」とも嘆く。(*1) 。 泰生れ泰育ちの瀬戸正夫・朝日新聞社アジア總局顧問も「スコールは女性的となりぬ。最近の如く何時間も降る雨は泰の雨に非ず」と話す。 いづれにせよ雨季のみ毎日の如く激しく降るスコールは、沖繩以外の日本では滅多に經驗せぬ類なれど、メナム句會(*2)に於ては、泰獨特の季語として使はれ來れり。 轟けよタイのスコール嵯峨野まで 大出 勝重(*3) 面白き句なり。嵯峨野に思ひ人のありや。作者は二年前、日系企業の責任者として泰に赴任せしが、京都寂庵にて瀬戸内寂聽師加はりて開かるゝ「あんず句會」(黒田杏子主宰*4)に毎月投句、この句もその中の一つなりとか。さては「思ひ人」は寂聽師なりや。はたまた杏子先生なるか。それは兔も角、句會出席者は、このスコールを如何に受け止めしや。「歳時記に無きゆゑ季語ならず」などと野暮は言はざりしか。この句には、遠き泰のスコールの下にて暮す氣持を訴へると共に、「スコールを季語として認めよ」と叫ぶ感もあり。スコールは、最近の「季寄せ」(*5)には「驟雨」「夕立」と竝べて收めたるものもあり、こは沖繩を意識したるものなるか。沖繩は日本なる以上、日本にもスコールありと言ふべきなるらむが、大多數の日本人の生活の中にスコールはなし。故に普通の歳時記に此無きはむべなり。ただ、泰にては季語たるべく論を俟たざらむ。 *1 山本みどり著『六度目の辰』『しゃむろの季語』より。原文は現代假名遣。 *2 泰國日本人會の俳句會。昭和三十五年發足。 *3 泰國日本人會會報『クルンテープ』二○○四年五月號。 *4 黒田杏子主宰「藍生(あおひ)俳句會」の關西例會を「あんず句會」と 稱し、東京女子大先輩の寂聽師名付け親なり。 *5 季語と例句を集めたる小册子。歳時記と基本的には同じなるも、季語の説明は簡略にて例句の數も少なし。代りに收録季語の數多し。 (泰國邦人紙『VOICE MAIL』より) ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |