■「旧仮名」は便利だ(連載)
              萩野貞樹(国語学)
  その七

 私はあくまでしつこく言ひますが、こんな歌があります。
   
君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで

 これは五行分けされて法律で国歌となりました。法律には「古歌」とありますがこんな古歌は存在しません。あるのは、
   
君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりてこけのむすまで
です。
「いはほとなりて」とある。それならばこれは「巌となつて」の意味だらうと見当が
つくけれども「いわおとなりて」では、さあわからない。その結果、今おほかたの若
者は「岩音が鳴つて」の意味と思つてゐるやうです。「ほのえにきろうあさがすみ」
だの「ころもほすちょうあめのかぐやま」だのと新仮名に書き換へただけのつもりで
も、要するに日本語ではなくなるのですから意味などわかるわけもない。辞書など引
いても無駄ですよ。こんな語は出てゐません。無い語だから当然です。
 さういへば、岩波古典文学大系の『狂言集・上下』は全部新仮名(表音表記)に書
き変へてあります。もちろん音を示すといふ狙ひでやつたのではあるのですが、その
結果たとへば、

  食びょうと存ずる (「節分」)
  かち落いてのきょう(〃)
  あっちへ失しょう(「末広がり」)

などとなつてゐます。耳で聞いてわかる人はいいけれども、さうでもなければ調べや
うもなく、つまりは永遠の謎です。聞いてわかる人もそれは元の形の見当がつくから
であつて、「のきょ」だの「うしょ」だのといふ言葉を知つてゐるのではありませ
ん。無いのですから。
 旧仮名ならなんの問題もない。「食べう」「のけう」「失せう」ですから、わから
ないならちやんと調べやうがある。辞書を引けば『広辞苑』など手近なものにも、こ
の「う」は意志とか命令・勧誘の助動詞だと書いてあります。「食べようと思ふ」
「はたき落してやらう」「あつちへ行つてしまへ」と理解できるわけです。<BR><BR><BR>
 少々くどくどと言つてしまひましたが、私がいはゆる旧仮名について言はうとして
ゐることは、要するに旧仮名・歴史的仮名遣は意味がとりやすくわかりやすい。つま
りはやさしいし便利である、といふことです。<BR><BR><BR>
 世間にはよく旧仮名派の人で、新仮名は便宜主義でけしからんと言ふ人があります
が、それはちよつとちがふ。本当は、新仮名は便宜でない、不便である。旧仮名は便
利である、といふことに帰します。

(「俳句朝日」2004年3月號所載)
 

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