■「旧仮名」は便利だ(連載)
              萩野貞樹(国語学)
  その六

 さて仮名遣から少し話がずれてしまひました。新仮名では意味がわからないといふ
件ですが、こんな唱歌があります。


  如何にいます父母
  恙なしや友がき
  雨に風につけても
  思ひいづる故郷


 ご存じ「故郷」ですが、第一句を見てください。「如何にいます父母」とある。
 これは旧仮名、歴史的仮名遣です。旧仮名で「います」とあるので私たちはすぐこ
の句が、「どうお過しだらうか、父上、母上は」といふ意味であることが理解できま
す。ところがもしこれが新仮名だとすれば困つたことになる。「如何にゐます父母」
なのか「如何にいます父母」なのかの区別がつきません。この二つは意味がまつたく
ちがふのです。
 いつでしたか私が『正論』といふ雑誌でこのことを指摘し、歴史的仮名遣だと意味
がよくわかつてよろしいではないかと言つたところ、現代仮名遣を頑固に守る「守旧
派」の人から激しい攻撃を受けたことがあります。その人が言ふには、「如何にいま
す父母」とあつたら、父母はどうお過しだらうか以外に解釈はあり得ないではない
か、といふことでした。ところがあるのです。
 この「います」が新仮名だとすれば、「ゐます」か「います」かどちらかだといふ
ことになりますが、「ゐます」ならば、
 どう過してゐますか、父さん母さん。
といふくらゐの意味になります。ところが「います」ならば、<BR>
 どうお過しだらうか、父上母上は。
の意味です。「ゐますか」と「いらつしやるだらうか」のちがひです。敬語、尊敬語
の有無の差です。新仮名ではこれが区別できない。すなはち意味不明となるわけで
す。

(「俳句朝日」2004年3月號所載)
 
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