■「旧仮名」は便利だ(連載)
              萩野貞樹(国語学)
  その一

  五十を過ぎたベテランの俳優が、時代劇のド
 ラマの中で手紙を読み、「ソーロー・ エバ」と
 読みげたのを聞いて仰天したのはつい二年ほ
 ど前です。
  もちろんその手紙 には「候へば」と書いてあ
 たはずで、それならば「ソーラエバ」と読み
 ます。

  これはじつは相当深刻な話で、俳優一個人の
 単なるトチリなどといふものではありません。
 候の字をあてる「さうらふ」といふ言葉はあの
 場合、「であります・でござ います」にあた
 る助動詞でしたが、

  候はズ 候ひテ 候ふ 候ふ段 候へドモ 候へ

 といふ具合に四段型で活用する語です。ソーロ
 ー・エバといふ読み方は、この活用の感覚がま
 つたく失はれてゐることを意味します。それは
 たしかに古い言葉にはちがひ ありませんが、
 なにも古文献にたまに見える古語などといふも
 のはなく、由紀さおりの歌謡曲などにも現れる
 ごく近しいものです。今の年輩者が若いころ
 は、通常ビジネ ス文書にも候文を使つてゐま
 した。

  さういふ語でもこのやうに読みちがへられ、
 しかも周囲の俳優たちだけでなく演出の監督者
 までが気づかなくなつてゐるのは、これはかな
 りの事態です。

  若者たちがしばしば「非ず」をヒズと読み、
 「曰く」をヒクと読み、「恋ひて」を コイ・
 ヒテと読むのを聞くと、文語・旧仮名が地を
 払つて消えるのかと思つてはなは だ嬉しから
 ざる思ひがしますが、この流れは止められない
 のでせうか。ちなみに私が ここで「若者」
 と言つてゐるのは六十代までを指します。

  もつとも、俳優が読んだあの紙片には「候え
 ば」と新仮名で書いてあつたのかもしれませ
 ん。
  私はよくテレビで時代劇を見ます。すると高
 札や艶書、瓦版、果し状などが画面に出てくる
 ことがありますね。あれはまづはほとんど新仮
 名で書かれてゐる。あれはがつかりです。柳生
 十兵衛が人力車で現れてはいけません。

  いやもちろん「候えば」とあつたからといつ
 てソーロー・エバとなるわけではありません
 が、なにしろ文語・旧仮名の現状は、かなり寂
 しいことになつてゐるやうです。
  (「俳句朝日」2004年3月號所載)


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