風雅と富 下総千葉のほとり博雅のともがらつどひて切磋するあり。名づくるにあらたまの會を以てす。さきがけて事とるは駒井鐵平大人とて、廉直剛毅の士にして江湖に知らる。さいつ年余に文をおこせて言はるるになるべくんば數言にて風雅を語れと。余もとより風雅を解せずといへども、いささか思ふことのなきにあらず。おほよそ左に掲ぐるごときひとひらを誌し送りき。幸ひにあらたま第四十六號に掲載せらる。 兼好法師が沓冠の歌に夜もすずし寢覺めの假庵手枕も眞袖も秋に隔てなき風とありて頓阿がもとに米(よね)給へ錢(ぜに)も欲しといひやりけるとなん、ふみども讀み散らしのひまに見出でたることのありし。濱眞砂(はまのまさご)にもやありけん書の名は失ひたり。さて見るに兼好貧なるに似て貧にあらず。まことに貧なるにはかかる歌は詠まず。 寛文十二年洛東三條橋にて乞食の女自害して歌あり。ながらへばありつるほどの浮世ぞと思へば殘る言の葉もなし。余誦(ず)んじて覺えず涙すとはいへどつらつら見るに雅薫ありとはいふべからず。兼好が一首名歌にあらずといへども雅致あり。西行宗祇また異なるなし。利休一輪の朝顔、珠光の馬、この風雅陶朱の富に出でたること否まんと欲して得べからず。清貧をおしてあげつらふは偏癖に似る。太閤に發句あり奥山に紅葉踏みわけ鳴く螢。もとより扶桑蓋世の長者、大氣風雅ともに極まりたり。雲州公茶道岸玄知、百姓の庭の梅樹を高價に贖ひ樹下に宴す。 ときに江漢一句あり。一枝を吾が物にして梅の花。武者小路中納言に吃りの歌あり。秋の野にかか風吹けばそそそよぐたたたれまねくはははつをばな。ふりう洒落(しゃらく)極まれりといふべし。風雅まさに富と遊びにあり。われら箪食瓢飲の徒輩身をいかんすべき呵々。 ▼「文藝襍記」表紙へ戻る ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |