讀者へ ━ 萩野貞樹


 拙著『敬語のイロハ教えます』の讀者より質問があつた。 書中「・・・くださつたかたがたのご芳名は次の通りです」 といふ例文が見えるが、高校生用の國語便覧に、「ご芳名」は二重敬語であつて間違ひであるとの記述があつた。 如何に考へたらよいか、といふものであつた。質問者は他の問題で先にも質問を寄せてきた方である。文面も丁寧で眞摯な質問であり、私も眞劔に答へる義務を覺えた。次のものは私の返書である。

 高 崎 様
 貴翰拜受、渝らぬ御眞率なるご書状感佩の至に存じ候。
 扨お尋ね「ご芳名」の件、芳名芳志芳信芳翰芳命、或いは亦高著高徳高見高察、此等はみな敬稱には候へども、もとより漢土の文辭に候へば本朝の敬語と必ずしも同日には論ぜられず、辭書に「敬稱」とありといふと雖も、用法自づから異なるものありと存ぜられ候。
 抑も芳名芳志、また高著高見の類、これ我が國語に見らるる如き敬語といはんよりは寧ろ褒詞といふべく、褒詞ならんには敬語「ご」を附くるもさまたげ無しと存じ候。「芳名・ご芳名」「芳志・ご芳志」は正誤の相違あるものにあらず、用法の相違あるのみにて、當人向けならざる客觀記述文には「芳名」、直接當人宛て禮状依頼状等にては寧ろ「ご芳名」然るべしと存じ候。試みに例示せんか「賛同者芳名簿に記載致したく差支へなくば御芳名下欄にご記入被下度願上候」また「朋友の芳志を以て此處に建立仕り候也。わきて尊臺ご一統のご芳志、一同深く謝し奉候」等の如くに御座候
 大町桂月翁書翰に下の如き文言あり。「令弟様のお話にかくありしとの事、小生も近日中には御高著を拜讀の上參上致すべく候」。また久保天隨翁書翰にかくあり。「大兄の御高徳によりて感化せられたるに他ならざる事と感泣罷り在り候」。右意不盡粗率に候へども大凡右の如くに御座候。
 草々不一
 萩野貞樹
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