第三幕 王の間の段 第三場 樂奏變はり、照明が明るむ。 (一)宮殿の王室内は頓に賑やかになり、學者は銀の細長きティーカップを右手に かかげ持ちてアラベスク樣の洗練されたる足の長きテーブルに置き、手を廣げ王の方に顔を回らす。 (二)上手に、白き格子より緋ジャスミンの垂れ下がれる窓あり、麗人、法博士を 見下ろしゐる。仕女が行きつ戻りつ甲斐甲斐しく働きをり。王の妃や母の姿 、美しく見ゆ。 (三)公女の兩側はらには、公女に從ふ白髪の老臣、恭しく仕へ座す。長き習慣の 中に身につきし禮儀ある態度、身に良くつきてをれば終始無言。舞台上の人々、全體に生き生きと見ゆるも、時折耿々たる星の夜の月を仰ぐ。 御役 イスラムの法博士 王母 王妃 麗人 仕女 内膳の長 侍従長 式部卿 僧侶 宮殿裏の賢者 上級兵士 中級兵士 下級兵士 総督 近臣 三名 學者(西牙印スペイン人他) 印度學者 土耳古トルコ學者 中国學者 日本學者 (ト)尺八の破調幽かに清くのび、琴と合奏。 イスラムの法博士「カバラの神秘の御印のコマレスの塔に燦然とのぼりはためく星の旗。」 仕女「塔の格子の陰に立ち、後宮の麗人等皆着飾りて、レースの袖に口當てて。」 麗人 「天に響ける美の調べ、泉にそそぐ水音より透きゐて、愛しく優しかり。」 「古来の貴きみ傳へ思ひたり。」 仕女「砂の礫は似合はざり。」 噴泉の影に聴き入る白布衣のエジプト學徒の、眞の誠の瞳。 (ト)王の出場と共に、舞台上、明るく絢爛たり。 王城の王の間なり。王中央に立ち胸を張り、手を擴げ、 王 「赤き大地の牧人はオリーブの畑守りけり。丘の上なるカテドラル、鐘つき堂の男の老い、鐘の音色も柔らぎて、大砲磨きをる兵士等も母の教へを想ひたり。母の御懐想ひけり。」 義太夫 近徒の他意すでに碎け散り、列柱の影にて見守れり。 常盤津 ここなる時のひろがりの、音と樂との調和なれば、麗堂一つとなりにけり。 (ト)王、臺上の豪華な椅子に手をかけて片手をかかげ 王「鷲の翔ぶ、天より生じ、嶺を下り、この廣間に流れ込む、萬年雪の眞清水。」 内膳の長 「秘蔵の葡萄のエキスを開けよ。」 王 「眞清水を一粒に受け、豊かに熟れし葡萄の実。」 侍従長「眞實の王として、高潔にて思慮深き。」 義大夫 典雅なる。 内膳の長「ベネチュアグラスの珠玉の精氣。」 義大夫 潔(きよ)けく赤く煌めける。 侍從長 「この城の巨き砦は西空に、太陽の休みし頃に、夕焼けて一日の稔りの彩を永久に溜め石組み建ちける。神秘のアルハムブラ宮殿。」 内膳の長 「世界の玉茶。多國の珍味。口に甘き五味を用意せる。饗宴の水音と琴のハーモニイ、これぞ最上の卓上への贈り物。名匠の玉金盃にそそがれし金華のいろなる葡萄水の、今宵はつとに輝ける。」 從者「又、葡萄エキス来たり。極上のエキス。」 式部卿 「この翠庭の大理石の、宴ある毎に磨かれて祭典は古来よりの傳統あつく、宴は奢らずむしろ倹なれど、精神の高揚は、ここ中天の城に刻まる。温故知新、禮節徳に傑出せる。尊崇の王、過たらず王道築く篤實なる吾が君主。」 僧侶 「華麗なる王宮モスクの築城、信仰篤く上和下睦、思惟の日々。」 ト胸に手。 義太夫 「尊かりせば蒼生(たみ)は安らけく、生命の讃をうたひけり。」 宮殿の裏の賢者 「誇りを持したる國の王たり。禮節正しき吾が諸儀禮も、高潔なる眞心訓(おし)ふる王なれば也。」 下級兵士 「農夫の守る葡萄の園、悠久の大地のオリブの丘、香ぐはしきオレンジの郷パラダイス。白羊の、村童の、牧人の、里のくらしを守りゆく。」 中級兵士「寛容の善慮の治政、あやまりなき日々。」 上級兵士「異教徒の攻撃、恐怖の均衡。平和の都の王として和平への交渉譲歩迅速に、隣国の智惠に意思疎通し。」 総督 「不協和を整へ、戦ひの不在の約を締結し、永久の和平を希へばなり。叡智の王 此處にあり。毅然たる信頼すべき我が王也。」 近臣一 「世界の覇たるどの國王より好まし。威嚴の詞、文人王。神の如き裁決は常のこと、たぐいまれなる資質也。」 義太夫 名も高き隊列の、整列正し謡ひける。 近臣二 「巍巍たり、王。」 近臣三 「堂々たり、王。」 老仕女 「けがれなき乙女のこころ。」 日本の學者「疑いは人間にあり、天に僞り無きものを。學びの中に培かふ精神。眞の從者。賢き近從。忠なる強者も從えて。貴き信任の目射しを定めたりし王。」 印度の學者 「天地の山川の神側らに。」 中国の學者 「王道は、亂世政治を救ひてあり。」 土耳古學者「ひろく、あまねく、人の心の義にてらし善悪二心をこころに止め、善の火の具現を。」 宮殿裏のほら穴の學者「自然に基づく鑑識眼。」 西牙人 「人間愛のくもり無き徳性。」 (ト)山の幸、海の幸の皿、さらに葡萄ジュウス、藥茶の運ばれて、いよいよ人々は饒舌に打ち興じ合ふ。老臣も腰を上げ滿足氣に充足せる模樣。 老臣 「この宴の華やぎの花の香油に満ち満ちて、愛の心を根付かせる言葉のいのち。」 常磐津 宮殿の天井に積み上げられし瑠璃色と、純金箔の文樣のはめ込み細工に微細あり。奏ずる詞は繪の如き秋の景。王城今宵は知の光彩のひろがれり。 (ト)老臣、引き上げつつ大仰に 老臣 「こよいの保護の何たる寧安。高貴の栽量。明日は又、善議を計る会議あり。」 (ト)全員見送るれば、光、華やかり變はる。御簾の中より 王妃 「豐饒の秋の稔りの殿堂。金色の天蓋の模様も反射し、映えて。」 王母 「池に寝みし白鳥も床しかり。」 常磐津 王妃も王母も氣高く御心慈愛の深ければ、忠義の若き召使ひの、池より離るゝを氣遣ひて、白鳥の羽切りをなして養ふに譽めるにあらず、叱ることなくかく云ひき。 長唄 白鳥は四季折々に、國を越え、湖を替へ來るならひなり。恵みの神の配慮こそ、價値ありとせよ。 王母 「何事も」 王妃 「神の御慮、自然の攝理。」 義太夫 こは、宮殿裏の石室に住みつける、學者の、訓へし也。 (ト)房の飾りを華麗に搖らせ、王母へ向かひ 老學者 「我、幼少の御時より御育み來れり。古代エジプトの深遠なる、四千五百年來の全知識。恒毅の團體、徹志の統治、學識、徳を備へられたる篤實の御名高かりし慈恩の王者とて鳴り響く。」 義太夫 ゝ乙女の細き階調の、幾重に彈じ、即興の詩樂は絶えず響きゆく。 (ト)次第に、あらゆる音曲加はり、天上の奏樂の如く城内に響き拍手に沸く。 王妃 「宮城、今宵はオルゴールの凾のごと。」 法博士 「ここに國を語り、王を語り、己れを語る樂の調べのある限り、迷ひも無く、病無く、苦無く、汚れ無く、眞實のみ。戯れ無く、愁無く、悲み無く、怨み無く、悩み無く、(次第にゆっくり感動的に)希望のよろこびの夢、醒むる無く。」 義太夫 かく云ひつつ、法博士殿、情感に、打ちひしがれて涙せり。 王母 王妃 從者等「安寧の」「調和ある」「平和」「喜び」 (ト)掛け合ひのごと聲々交じり、美しき王母微笑、公女に向かひ、 王「明日の明け、林の道にうたふ覧。近衛兵等つるぎ上げ、秋野を騎けて合唱ひけん。馬車を止め、聴けや、我が兵士のもろもろの歌を。」 兵士一「清澄なる。」 兵士二「くもり無き聲。」 (ト)能曲風にうたう 王(曲)「アルハムブラは朝霧に、沈みてあれば汝が車馬の、別れも、歌も、霧の底。早朝の安き旅出は守られん。」 義太夫 忠節の近衛の卿は胸を張り、王へ打ち添ひ立ち去れり。 |