平成新選百人一首 (第八十)

     最上川逆白波のたつまでに
            ふぶくゆふべとなりにけるかも

                                 齊藤茂吉(白き山)

「最上川」と地名をまづ示し、「逆白波のたつまでにふぶくゆふべ」と實景を的確に述べ、「なりにけるかも」と結びたり。「逆白波(さかしらなみ)」といふは流れに逆ひて立てる波の意なるべし。終りの「かも」は詠歎(えいたん)の終助詞なり。吹雪(ふぶき)の中に暮れゆく最上川(もがみがは)の莊嚴(さうごん)なる姿を一氣に詠みきりたる歌なり。
齋藤茂吉は昭和二十年四月、空襲(くうしふ)激しき東京を逃れ、郷里なる山形縣金瓶(かなかめ)に疎開せり。敗戰後の昭和二十一年一月、單身金瓶を離れ、最上川の畔(ほとり)なる大石田(おほいしだ)に移り、昭和二十二年十一月に東京に戻るまでその地に住ひたり。此の大石田にありたる間の歌を收めたるが歌集「白き山」なり。
先(さき)に掲げたる歌は、此の中の「逆白波」と題せる五首のうちの一つなり。五首の初の歌は、

かりがねも既にわたらずあまの原かぎりも知らに雪ふりみだる

といふものなるが此れも調(しらべ)の大いなる歌なり。此の「白き山」の中に茂吉は最上川の樣々なる姿を詠みとどめたりき。

ひがしよりながれて大き最上川見下しをれば時は逝くはや
最上川ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも
最上川ひろしとおもふ淀の上に鴨ぞうかべるあひつらなめて
鉛いろになりしゆふべの最上川こころ靜かに見ゆるものかも


茂吉の歌の強くおほどかなる調子は萬葉集に深く學びて體得せるものなり。茂吉はその著「萬葉秀歌」のうちにて萬葉における「なりにけるかも」に言ひ及び用例を多く擧げたるなり。

昔見し象(きさ)の小河(をがは)を今見ればいよよ清(さや)けくなりにけるかも卷三・三一六)
妹として二人(ふたり)作りし吾が山齋(しま)は木高く繁くなりにけるかも(卷三・四五一)
石激(いはばし)る垂水の上のさ蕨(わらび)の萌え出づる春になりにけるかも
(卷八・一四一八)
うち上る佐保(さほ)の河原の青柳(あをやぎ)は今は春べとなりにけるかも(卷八・一四三三)
秋萩(あきはぎ)の枝もとををに露霜(つゆじも)おき寒くも時はなりにけるかも(卷十・二一七○)
萩が花咲けるを見れば君に逢はず眞(まこと)も久(ひさ)になりにけるかも(卷十・二二八○)
竹敷(たかしき)のうへかた山は紅(くれなゐ)の八入(やしほ)の色になりにけるかも(卷十五・三七○三)


 いづれも大きなる調べの秀歌なり。
 茂吉の「逆白波」の歌の「なりにけるかも」てふ結句は萬葉集の「なりにけるかも」を念頭に置けるものなるべけれど、單なる模倣にあらずして實景に臨みて一氣にうたひきりたる時、自(おの)づと出て來(こ)しものなるべし。かつ茂吉自(みづか)ら
〈なりにけるかもを遂に我も用うることを得たり〉てふ自負も又あるべし。
「白き山」の中の「最上川下河原(しもがはら)」と題したる十一首のうちに


われをめぐる茅(ち)がやそよぎて寂(しづ)かなる秋の光になりにけるかも

といふものあり。「逆白波」の強き「なりにけるかも」に比ぶれば、これはしみじみとしたる「なりにけるかも」なり。
 戰(たたかひ)に敗れし後(のち)の苦しかりし時に、雪深き大石田に一人暮してありし茂吉は、肋膜炎(ろくまくえん)をも患(わづら)ひ、體を痛めてありしが、新しき境地を拓(ひら)き、深沈たる、あるいは淡淡たる歌を多く詠(よ)み出(いだ)せり。


ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ

「白き山」の八百二十四首に接する時、嚴しかりし疎開生活も、作歌の上にては稔(みの)り多き時なりきといふことを得(う)べし。

  解説 松岡 隆範・まつをかたかのり(彫刻家)